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坪島孝監督(クレージー映画)の祥月命日は日航機墜落の日だった [東宝昭和喜劇]

坪島孝監督といえば、このブログ「戦後史の激動」でたびたび記事にする東宝クレージー映画のメイン監督といわれています。日航機が群馬県御巣鷹山山中に墜落した8月12日は、坪島孝さんの祥月命日でもあります。12日のブログは、おそらく日航機関連の記事が増えるでしょうから、私は坪島孝監督について書きます。

東宝クレージー映画といっても、たぶん40代以前の方にはピンと来ない話だと思います。

高度経済成長といわれた1960年代、テレビが少しずつ力をつけ、やや斜陽に入った映画に代わって国民的娯楽になりつつある頃、テレビと映画で活躍したハナ肇とクレージー・キャッツの出演する映画シリーズです。

東宝というと、黒澤明監督と三船敏郎主演の映画が映画史的にはまず取り上げられますが、1960年代の東宝は、森繁久彌主演の社長シリーズ、植木等などクレージー・キャッツ主演のシリーズ、加山雄三の若大将シリーズ、東京映画が制作した駅前シリーズなど、人気シリーズがそれぞれ20~30作作られ、その屋台骨を支えていました。

どのシリーズも、主要な出演者や作品としてのモチーフが同じだけで、ストーリーや設定は毎回異なるのが特徴です。同じ設定で48本作られた松竹の『男はつらいよ』シリーズとはその点が異なります。

東宝クレージー映画というのは、最初、植木等主演の『ニッポン無責任時代』(1962年)を公開したところヒットしたため、植木等主演の作品ともに、ハナ肇とクレージー・キャッツ全員が出演する作品もつくられるようになり、70年までに合計30作公開されていますが、その総称です。

シリーズに最も深く関わったのは古澤憲吾監督。植木等の破天荒なキャラクターとともに、ミュージカルとハードなアクションが加わった構成を作り上げた功績は大きいと思います。

シリーズの前半は、ほかに久松青児、杉江敏男といった、すでに完成された監督もメガホンをとっていましたが、監督としては新人と言っていい、坪島孝監督がメガホンをとるようになってからは、アクションや破天荒さを売り物にするイケイケの古澤憲吾監督と、その前提は継承しながらも、そこにストーリーの繊細さやときには風刺的な要素を加えた坪島孝監督の対照的な作風が、シリーズとしてのメリハリになっていたと思います。

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ファンタスティックな構成に社会風刺


これまでも書いたことがありますが、坪島孝監督のクレージー映画には、ファンタスティックな喜劇の中に、社会風刺的としてのメッセージを滲ませる繊細な演出を目指していたようです。

私が見るところ、その考え方は、『男はつらいよ』の山田洋次監督に近い人だな、とおもいます。

クレージー作戦 くたばれ!無責任(1963年)


舞台は斜陽の菓子メーカー。社運をかけて作った興奮剤入りコーラは食品として許可が降りず、専務はコーラ販売の子会社を作り、クレージーの7人を出稿させて責任を押し付けようとします。しかし、クレージーは奮起し、銀行の融資をしてもらえるところまで頑張りますが、専務は子会社を吸収合併して融資を本社のものにしようとします。そこでクレージーは本社に戻れる辞表を破り、新たな人生をスタートさせるというストーリー。



この頃から大企業は、事業部制や子会社というシステムを採用しますが、社員を駒としか考えていない企業に対する風刺を坪島孝監督は『クレージー作戦 くたばれ!無責任』で描いています。高度経済成長期のさなかに、よく考えるとずいぶん刺激的です。

クレージーだよ奇想天外(1966年)


遊星アルファから平和の使者として地球に来たミステイク7が、地球人の体を借りて国会議員にまでなりますが、そこで「平和法案」が、名称とは名ばかりの実態は戦争法案であることに気づいて反対。議会を追放されて星に戻るものの、好きになった地球人の女性が忘れられず、また地球に戻って暮らすという話。

この『クレージーだよ奇想天外』では、反核や平和などかなり踏み込んだメッセージがあり、当時の東宝では興収が最高だった大ヒットにもかかわらず、会社側の覚えは悪く、以後、クレージー映画としては谷啓を単独主演とした作品は作られることがありませんでした。

クレージーだよ天下無敵(1967年)


クレージーだよ天下無敵』は、前職から対立していた2人が、お互いの会社から企業秘密を盗み出そうとしますが結局失敗。会社も解雇されますが、2人が力を合わせて大ヒット作品を開発するというストーリーです。

この作品は先日、『『クレージーだよ天下無敵』ロケ地は八重洲通りの久安橋にあった』でロケ地に行ったことを書かせていただきました。

クレージー黄金作戦(1967年)


クレージーの7人が、それぞれの立場からアメリカ・ロサンゼルスで100万ドルを巡って現地のギャングと争います。かなりの長尺でストーリーの批評はいろいろありますが、なんといってもラスベガスの大通りで、車をストップさせてクレージーが踊り歌ったシーンが圧巻でした。

この作品も、『高輪虎屋、名物の茶釜型建物を『クレージー黄金作戦』で思い出す』でロケ地探訪をしました。

クレージーの怪盗ジバコ(1967年)


北杜夫の原作は冒頭の名古屋章のナレーションだけで、あとはクレージー映画用ともいえるほぼオリジナル作品です。作品で7人が演じるジバコは、日本工業会の会長に、工場の煙と自動車の排気ガスを止めるために、1日でいいから工場を止めろといいます。この作品も、公害という60年台後半の世相を描いています。

このブログでは、『ひし美ゆり子と豊浦美子、『ウルトラセブン』と『怪盗ジバコ』』などで同作品について書きました。

クレージーメキシコ大作戦(1968年)


クレージーの7人がそれぞれの立場からアメリカ、そしてメキシコで騒動を巻き起こします。批評者によってはクレージー凋落のきっかけになった作品ともいわれていますが、ストーリー展開にいささか手詰まり感はあるものの、興収自体はそう悪くありません。

坪島孝監督は、古澤憲吾監督とは「好一対を成す演出」(小松政夫)といいますが、全く別ということではなく、古澤憲吾監督の作った前提はそのまま使っています。たとえば、劇中で歌が入る構成。この作品と『クレージー黄金作戦』では、ザ・ピーナッツが歌っています。



私はこのシーンを見たいばかりに、この作品を何度見たことかわかりません。

まあ、これからも東宝クレージー映画については記事にすると思いますが、監督の個性についても焦点をあてていきたいと思います。



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