高齢出産否定論者へ、障がい児はそんなに不幸せに見えますか? [社会]
高齢出産というのは、ネットにとってはもっとも炎上しやすいテーマと言われています。結論として、高齢出産バッシングに酔いしれたい人たちがそれだけ多いからだと私は考えます。いかにも、わが日本人的な偽善に満ちた「善意」です。障がい児はそんなに不幸せに見えますか?否定論者が方便に使っているだけじゃないんでしょうか。
私の妻が、前置胎盤や高齢出産であったことから、その経験や関連情報を記録したブログを運営しています。
何があったのかわかりませんが、そこが最近、炎上状態で、かなりヒステリックなコメントが続けざまに入ってきます。
高齢出産けしからん。否定しないのは何事だ、という内容です。
別に妻は、高齢で出産しよう、なんてけしかけているわけではありません。
ただ、自分は前置胎盤で大量出血して死にかけましたが産みました。高齢出産でも元気な子供が生まれました。だから、現在そういう人たちも悲観的にならないでください、という趣旨です。
が、ネットではその程度の励ましすらも許されないデリケートな話題らしい。
その中身はだいたい、
「障害児が生まれたら子供がかわいそうだ」
「年をとってからの子育ては大変だ」
ということが書かれています。
島国根性丸出しの陰険なわが日本人は、いつからそんなに、見たこともない他人の生活や人生まで心配するほど心が深い人になったのでしょう(笑)
何より私が腹が立つのは、障がい児のことを知りもしないくせに、さかしらに「かわいそうだ」などと説教をしていい気になっていることです。
そのような説教をするアンタは、障がい児とその子育てをどんだけ知ってるんだ?
もし私がリアルにその人と対面していたら、とことん詰問したいものです。
それは結局、障がい児を見下しているんでしょうね。
高齢だとダウン症や染色体異常の子供が生まれるリスクは高いと言われます。
そりゃ、健常であるほうが、その子自身の可能性だって広がるし、親だって子育ての負担はまるっきり違います。
ですから、当事者が、生まれるなら健常であってほしいと思うことはもっともです。
そういう「リスク」が高いと考えて出産を見合わせるのも選択肢だと思います。
だからといって、「生んではいけない」ということにはならないでしょう?
障がい児を生むこと→失敗作、といわんばかりの考え方は、ひっきょう、優秀な遺伝子の血統こそ価値がある、という考え方に行き着かざるを得ません。
どうせ国民なんて大多数が愚かなくせに、そんな世の中でももいいんですか。
そもそも、ダウン症児等を「リスク」と言ってしまうことにすら、私は抵抗があります。
だったら、近眼のアンタも、難聴のアンタも、糖尿のアンタも、みんな失敗作ですよ。
「かわいそう」かどうかなんて、その人の価値観の問題であり、生まれたこと自体を否定するような意見を同じ人間としていえることに、私は戦慄を覚えます。
自分の価値観で人間の価値や存在意義まで決めつける。
思い上がりも甚だしい。
生まれた子供に結果として障がいがあっても、それは家庭が、社会が時には保護すべき個性だとする気持ちを私は持ちたいと思います。
健常者がいて障がい者がいて、そういう世の中じゃいけませんか。
そもそも、40歳を過ぎると、産みたくても妊娠する確率自体が減ってきます。
この記事をご覧の40歳以上の女性で、妊娠の意思がある方には申し訳ないのですが、「30歳が1カ月で妊娠できる確率は20%」に比べて、40歳では5%に減ってしまう(日経DUAL)のです。
数字を扱う方はご存知と思いますが、「5%」という時点で、実はもう無視できる数字扱いなんですよね
しかも、これは年々ガタガタ落ちていきます。そして、自然妊娠が厳しい年齢では、不妊治療をしても成功する確率は上がらなくなる。
私の妻の現在の年齢では、妊娠する確率はコンマ何%かだそうです。
マスコミは、高齢妊娠・出産があるとニュースにするので、みんながみんな高齢出産に走っているように見えますが、その母数、もしくは妊娠したくてもできなかった数は明らかにしていません。
ネットで高齢出産の話題を探しまわって荒らしている人たちは、そんな「無視できる数字」、少なくとも少数派を相手に殺気立っているのです。
お前なあ、世の中、もっとエネルギー使うべき社会的な話題はあるだろう。
と、私は思います。
でも、遥洋子という文化人志向のタレントが、坂上みきの50過ぎの出産に対して、「心が爆破」という表現を使った時、その正直な書き方には好感を持ちました。
高齢出産はリスクがある、いくらそういう理論武装をしても、いざ、高齢出産に成功したニュースを知ると、とたんに動揺する女性心理。高齢出産バッシングのひとつの真実がそこにあるんでしょうね。
今日はちょっと消化不良で終わりますが、また機会を見て、この問題に対する私の経験や考えを書きます。
私の妻が、前置胎盤や高齢出産であったことから、その経験や関連情報を記録したブログを運営しています。
何があったのかわかりませんが、そこが最近、炎上状態で、かなりヒステリックなコメントが続けざまに入ってきます。
高齢出産けしからん。否定しないのは何事だ、という内容です。
別に妻は、高齢で出産しよう、なんてけしかけているわけではありません。
ただ、自分は前置胎盤で大量出血して死にかけましたが産みました。高齢出産でも元気な子供が生まれました。だから、現在そういう人たちも悲観的にならないでください、という趣旨です。
が、ネットではその程度の励ましすらも許されないデリケートな話題らしい。
その中身はだいたい、
「障害児が生まれたら子供がかわいそうだ」
「年をとってからの子育ては大変だ」
ということが書かれています。
島国根性丸出しの陰険なわが日本人は、いつからそんなに、見たこともない他人の生活や人生まで心配するほど心が深い人になったのでしょう(笑)
何より私が腹が立つのは、障がい児のことを知りもしないくせに、さかしらに「かわいそうだ」などと説教をしていい気になっていることです。
そのような説教をするアンタは、障がい児とその子育てをどんだけ知ってるんだ?
もし私がリアルにその人と対面していたら、とことん詰問したいものです。
それは結局、障がい児を見下しているんでしょうね。
高齢だとダウン症や染色体異常の子供が生まれるリスクは高いと言われます。
そりゃ、健常であるほうが、その子自身の可能性だって広がるし、親だって子育ての負担はまるっきり違います。
ですから、当事者が、生まれるなら健常であってほしいと思うことはもっともです。
そういう「リスク」が高いと考えて出産を見合わせるのも選択肢だと思います。
だからといって、「生んではいけない」ということにはならないでしょう?
障がい児を生むこと→失敗作、といわんばかりの考え方は、ひっきょう、優秀な遺伝子の血統こそ価値がある、という考え方に行き着かざるを得ません。
どうせ国民なんて大多数が愚かなくせに、そんな世の中でももいいんですか。
そもそも、ダウン症児等を「リスク」と言ってしまうことにすら、私は抵抗があります。
だったら、近眼のアンタも、難聴のアンタも、糖尿のアンタも、みんな失敗作ですよ。
「かわいそう」かどうかなんて、その人の価値観の問題であり、生まれたこと自体を否定するような意見を同じ人間としていえることに、私は戦慄を覚えます。
自分の価値観で人間の価値や存在意義まで決めつける。
思い上がりも甚だしい。
生まれた子供に結果として障がいがあっても、それは家庭が、社会が時には保護すべき個性だとする気持ちを私は持ちたいと思います。
健常者がいて障がい者がいて、そういう世の中じゃいけませんか。
そんなにムキになる話か?
そもそも、40歳を過ぎると、産みたくても妊娠する確率自体が減ってきます。
この記事をご覧の40歳以上の女性で、妊娠の意思がある方には申し訳ないのですが、「30歳が1カ月で妊娠できる確率は20%」に比べて、40歳では5%に減ってしまう(日経DUAL)のです。
数字を扱う方はご存知と思いますが、「5%」という時点で、実はもう無視できる数字扱いなんですよね
しかも、これは年々ガタガタ落ちていきます。そして、自然妊娠が厳しい年齢では、不妊治療をしても成功する確率は上がらなくなる。
私の妻の現在の年齢では、妊娠する確率はコンマ何%かだそうです。
マスコミは、高齢妊娠・出産があるとニュースにするので、みんながみんな高齢出産に走っているように見えますが、その母数、もしくは妊娠したくてもできなかった数は明らかにしていません。
ネットで高齢出産の話題を探しまわって荒らしている人たちは、そんな「無視できる数字」、少なくとも少数派を相手に殺気立っているのです。
お前なあ、世の中、もっとエネルギー使うべき社会的な話題はあるだろう。
と、私は思います。
でも、遥洋子という文化人志向のタレントが、坂上みきの50過ぎの出産に対して、「心が爆破」という表現を使った時、その正直な書き方には好感を持ちました。
高齢出産はリスクがある、いくらそういう理論武装をしても、いざ、高齢出産に成功したニュースを知ると、とたんに動揺する女性心理。高齢出産バッシングのひとつの真実がそこにあるんでしょうね。
今日はちょっと消化不良で終わりますが、また機会を見て、この問題に対する私の経験や考えを書きます。
Facebook コメント