冤罪交通取締りの記事を、久しぶりにトップに持ってきているのは、その分野では他の追随を許さない『週刊大衆』(7月7日号)です。同誌によると、冤罪取締りが行われたのは、東京都練馬区の大泉ICから埼玉県三郷市の三郷南ICまで、東京都心の北側をグルリと半円形に走っている高速自動車道です。
埼玉県警は、その区間で2006年から今年4月まで、何と8年以上にわたって約2400人、反則金約1440万円にものぼる“車両通行帯違反”の不正な交通取締りを続けていたといいます。
埼玉県警が「車両通行帯違反」として取り締まったのは、追い越し車線を走り続けたとする違反行為でした。
が、追い越し時の他車の走行状況によって、“走り続け”るケースはあるわけですし、何メートル以上はいけないという決まりがあるわけでもない限り、そこを取り締まることになると、警察の裁量によっていくらでも違反はこしらえることができます。
では、その交通規則はあったのか。
記事によると、車両通行帯や速度制限などは、公安委員会の決定があって交通規則として認められるのですが、埼玉県警は同区間が開通しても指定を受けていなかったといいます。
つまり、交通規則はなかった。
埼玉県警は、交通規則として認められていない(存在しない)「違反」の検挙を8年以上にわたって行っていたことになります。
2400人に反則金は返還されたそうですが、金を返せばすむというものではなく、その時点で免停や免許取り消しになった人は、仕事を失っているかもしれないので、その賠償責任についてもはっきりさせてほしいと思いますね。
「そもそも交通取締りの目的は、検挙にはあらず。ドライバーを指導して安全運転させることにあります。したがって、本来あるべき姿は、警告書を出してドライバーに注意喚起を促し、それでもダメなら違反切符を切るべきものです。
ところが、違反切符は持っていても警告書を持っていない警察官がいる。このことが、彼らにとって交通取締りの目的が何なのかを象徴しているように思います」(道路交通評論家・鶴田光秋氏)
同じような不正検挙は、能越自動車道において富山県警も行っていたそうです。
が、警察はなぜそのようなミスが起こったか、その原因究明も、マスコミの個別対応も行わないといいます。
原因究明も行わず、他者の意見にも耳を傾けなかったら、また同じ過ちを繰り返すかもしれないと心配になります。
YOUTUBEには、埼玉県警の取り締まりに対する怒りの動画もアップされていますね。
私は以前、このブログで、同誌の交通違反不当取り締まりに関する記事として、「
不当交通取締り、かもしれないときの心構えと対策は?」や、「
交通違反、反則金払うか、突っぱね不起訴にするか」などを書いたことがあるのですが、それに対して、「違反をしたのにゴネるのは二重に悪い」というようなコメントをいただいたことがありました。
ケースにもよりますが、少なくとも今回のような場合、それは違うんですね。
法律とか条例といった規則は価値の体系です。
つまり、人間の判断で「こうしましょう」と決めているにすぎません。
「決め」がなかったら、違反も存在しないのです。
ですから、規則がなかったり、規則に沿った解釈ではない取り締まりだったりしたら、それは運転者の自覚がどうであっても違反ではないのです。
まあ、急いでいると、軽微なものなら、切符を切らせてさっさと済ませた方が面倒がなくていい、という考え方もありますが、こういう大掛かりな不祥事が現実にあると知ってしまうと、釈然としなかったら、「警告書」や「公安委員会の決定」の有無を問うぐらいはやってみてもいいのでは、という気がしてきます。
マスコミの冤罪報道はどうなった?
冤罪といえば、明日は松本サリン事件のあった日です。
“空前の”とつく冤罪報道から18年経ちました。1994年6月27日、オウム真理教の信者7人が長野地裁松本支部官舎に猛毒のサリンを撒いたことで、7人が死亡、660人が負傷する大惨事に。
その第一通報者に、警察、マスコミが一体となった疑惑報道を繰り広げました。
その冤罪報道を反省したマスコミの中には、容疑者の実名報道を一切やめると宣言したところもありましたが、こんにちの報道を見ると、なしくずしにその宣言はひっこめられているようです。
いや、それどころか、一部の加害者だけ人権を口実に名前を隠し、その一方で被害者は名前がさらされるより不可解な矛盾もあるようです。
私も3年前の火災の時、新聞に長男の小学校名までさらされたために、そこをヒントに週刊誌の記者が同級生やその家庭にしつこい取材をかけ、学校はしばらく保護者も付き添う集団登下校の措置を取らざるをえなくなったそうです。
書いたのは毎日新聞なんですけどね。
私は最初、裁判もあり得ると考えたのですが、損害を算出しにくいのと、そういうことに時間と手間を使う余裕もなかったのでどうしたものかと考えているうちに、結局損害賠償の時効(3年)が来てしまいました。
ことほどさように、世の中は不正や不条理に満ちています。
“世の中間違っとるよ~。誠に~遺憾に~存じ~ます~”
という、植木等の半世紀も前の歌のとおりですね。
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