『日本一のゴリガン男』でセールスマンが元気になる!? [東宝昭和喜劇]
『日本一のゴリガン男』(1966年、東宝)という作品を鑑賞しました。主演はもちろん植木等。東宝クレージー映画日本一シリーズの第4弾です。浜美枝、藤田まこと、進藤英太郎、人見明らシリーズではお馴染みのメンバーのほか、“いや~ん、いや~ん”のルーキー新一、“青大将”の田中邦衛なども出演しています。
一昨日、「『昭和だョ!全員集合』(新潮社)で昭和のパワーの秘密を学ぶ!?」で、藤田まことがコメディ時代劇『てなもんや三度笠』(1962年~1968年、朝日放送)の冒頭に言っていた「あたり前田のクラッカー」に触れましたが、ちょうどその頃、藤田まことは渡辺プロダクションに所属。東宝クレージー映画に準レギュラー出演していました。
大臣や、大阪弁の日系二世や異星人などいろいろな役で出ていましたが、その中の一つが、市会議員役で出演した『日本一のゴリガン男』(1966年、東宝)です。
左下が藤田まこと
「日本一の」ですから、もちろん主演は植木等。クレージー映画をもっとも多く撮った古澤憲吾監督作品です。
古澤憲吾監督について私は以前、「ちょっと苦手」とこのブログの記事「『クレージーだよ奇想天外』はファンタスティックな風刺喜劇の決定版!」で書いたことがあるのですが、東宝クレージー映画のファンからすると、およそ理解しがたい評価だったかもしれません。
なぜなら、ミュージカル仕立ての構成や、ぶっ飛んだ主演(植木等)のキャラクターなど、東宝クレージー映画の基本的な設定を作り上げたのは古澤憲吾監督にほかならないからです。
古澤憲吾監督が理解できない奴に、東宝クレージー映画の面白さがわかるはずがない、と思う方もおられるのではないでしょうか。
従来の喜劇の枠内でクレージーキャッツを上手に使った、久松青児監督や杉江敏男監督、古澤憲吾監督の作った設定をさらに繊細に発展させた坪島孝監督などに比べると、古澤憲吾監督の突撃演出はあまりにもパワフルすぎて、ストーリーが既存のオチに収まらなくなってしまうのです。
『大冒険』(1965年)や『クレージーの大爆発』(1969年)などは、最後は水爆まで登場させているのですが、これは古澤憲吾監督のタカ派的な思想とともに、そうでもしないとストーリーを収められなくなっているわけです。
そんな私でも、この『日本一のゴリガン男』は、古澤憲吾監督ならではの傑作だなあと思うひとつです。
wikiによれば、「ゴリガン」とは「御利願」という意味らしいのですが、作中では「合理化」「ゴリ押し」など、的確な判断を下すハッスル社員という意味で使われています。
日本等(ひのもとひとし=植木等)は、出張に行く途中で工事現場から落ちてきた鉄骨が頭に直撃。3回の手術と1年の入院で、手術前よりも頭の働きが100倍向上しました。
ところが、出社してみると勤務していた商事会社は倒産。テナントごと譲渡された別会社が人減らしをしながら細々と事業を行っていました。
そこで日本等は、無給でデスクを置かせてもらい、契約をとったら会社と自分で利益を折半するという、社内個人代理店の立場でその会社の経営を助けます。
電話帳を開いて目をつぶり、鉛筆をさしたところがターゲットという“飛び込み営業”で、おもちゃ、墓地、浄水器などを売りまくりますが、いずれも、政治道楽で代議士になった社長(進藤英太郎)が原因で、うまくいっていたのに挫折。
会社は、やがてその社長が原因で負債が増えて金融機関の信用を失い、身動きがとれなくなりますが、日本等は国家的プロジェクトの発注を決めて会社の評価を持ち直してから会社の身売りを決めます。
かようにしてセールスマンとしてはきわめて優秀な日本等でしたが、一目惚れで結婚した社長の娘(浜美枝)の浪費とわがままだけは手に負えず。
「売るのは得意だけど買うのは苦手だったんだ」と、今だったら婦人団体に吊るしあげられそうな悟りのオチがついています。
まあ、挫折が続く展開ではハッピーエンド。逆に成功が続いているときは最後に失敗という、「禍福は糾える縄の如し」というのはシリーズで定番化したストーリーなので、今回もそれにならっただけで他意はない台詞だと思いますけどね。
藤田まことは、進藤英太郎社長の選対委員長をつとめた大衆党の市会議員役。清廉潔白を売り物にしていながら、日本等に飲ませ食わせの接待を要求し、挙句の果てに頼まれていた約束も果たさない役を演じています。
日本等が唯一、仕事でつまずくところですが、インケツ社長がらみの人脈のためうまくいかない、ということを表現するストーリー展開上大切な役どころです。
日本等の、“飛び込み営業”とハッタリも含めた度胸のプレゼンやセールストークなどは、仕事をもっている人なら、映画ということは承知していても、ご覧になればきっとヤル気が湧いてくる展開だと思います。
植木等は、この作品でブルーリボン賞の大衆賞を受賞しました。
一昨日、「『昭和だョ!全員集合』(新潮社)で昭和のパワーの秘密を学ぶ!?」で、藤田まことがコメディ時代劇『てなもんや三度笠』(1962年~1968年、朝日放送)の冒頭に言っていた「あたり前田のクラッカー」に触れましたが、ちょうどその頃、藤田まことは渡辺プロダクションに所属。東宝クレージー映画に準レギュラー出演していました。
大臣や、大阪弁の日系二世や異星人などいろいろな役で出ていましたが、その中の一つが、市会議員役で出演した『日本一のゴリガン男』(1966年、東宝)です。
左下が藤田まこと
「日本一の」ですから、もちろん主演は植木等。クレージー映画をもっとも多く撮った古澤憲吾監督作品です。
古澤憲吾監督について私は以前、「ちょっと苦手」とこのブログの記事「『クレージーだよ奇想天外』はファンタスティックな風刺喜劇の決定版!」で書いたことがあるのですが、東宝クレージー映画のファンからすると、およそ理解しがたい評価だったかもしれません。
なぜなら、ミュージカル仕立ての構成や、ぶっ飛んだ主演(植木等)のキャラクターなど、東宝クレージー映画の基本的な設定を作り上げたのは古澤憲吾監督にほかならないからです。
古澤憲吾監督が理解できない奴に、東宝クレージー映画の面白さがわかるはずがない、と思う方もおられるのではないでしょうか。
従来の喜劇の枠内でクレージーキャッツを上手に使った、久松青児監督や杉江敏男監督、古澤憲吾監督の作った設定をさらに繊細に発展させた坪島孝監督などに比べると、古澤憲吾監督の突撃演出はあまりにもパワフルすぎて、ストーリーが既存のオチに収まらなくなってしまうのです。
『大冒険』(1965年)や『クレージーの大爆発』(1969年)などは、最後は水爆まで登場させているのですが、これは古澤憲吾監督のタカ派的な思想とともに、そうでもしないとストーリーを収められなくなっているわけです。
そんな私でも、この『日本一のゴリガン男』は、古澤憲吾監督ならではの傑作だなあと思うひとつです。
wikiによれば、「ゴリガン」とは「御利願」という意味らしいのですが、作中では「合理化」「ゴリ押し」など、的確な判断を下すハッスル社員という意味で使われています。
日本等(ひのもとひとし=植木等)は、出張に行く途中で工事現場から落ちてきた鉄骨が頭に直撃。3回の手術と1年の入院で、手術前よりも頭の働きが100倍向上しました。
ところが、出社してみると勤務していた商事会社は倒産。テナントごと譲渡された別会社が人減らしをしながら細々と事業を行っていました。
そこで日本等は、無給でデスクを置かせてもらい、契約をとったら会社と自分で利益を折半するという、社内個人代理店の立場でその会社の経営を助けます。
電話帳を開いて目をつぶり、鉛筆をさしたところがターゲットという“飛び込み営業”で、おもちゃ、墓地、浄水器などを売りまくりますが、いずれも、政治道楽で代議士になった社長(進藤英太郎)が原因で、うまくいっていたのに挫折。
会社は、やがてその社長が原因で負債が増えて金融機関の信用を失い、身動きがとれなくなりますが、日本等は国家的プロジェクトの発注を決めて会社の評価を持ち直してから会社の身売りを決めます。
かようにしてセールスマンとしてはきわめて優秀な日本等でしたが、一目惚れで結婚した社長の娘(浜美枝)の浪費とわがままだけは手に負えず。
「売るのは得意だけど買うのは苦手だったんだ」と、今だったら婦人団体に吊るしあげられそうな悟りのオチがついています。
まあ、挫折が続く展開ではハッピーエンド。逆に成功が続いているときは最後に失敗という、「禍福は糾える縄の如し」というのはシリーズで定番化したストーリーなので、今回もそれにならっただけで他意はない台詞だと思いますけどね。
藤田まことは、進藤英太郎社長の選対委員長をつとめた大衆党の市会議員役。清廉潔白を売り物にしていながら、日本等に飲ませ食わせの接待を要求し、挙句の果てに頼まれていた約束も果たさない役を演じています。
日本等が唯一、仕事でつまずくところですが、インケツ社長がらみの人脈のためうまくいかない、ということを表現するストーリー展開上大切な役どころです。
日本等の、“飛び込み営業”とハッタリも含めた度胸のプレゼンやセールストークなどは、仕事をもっている人なら、映画ということは承知していても、ご覧になればきっとヤル気が湧いてくる展開だと思います。
植木等は、この作品でブルーリボン賞の大衆賞を受賞しました。
Facebook コメント