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『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』に異議あり! [パソコン・ネット]

『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』(藤原智美著、文藝春秋)という書籍を読みました。話し言葉であるネットのコミュニケーションが、政治をダメにし、三面記事事件の原因さえ作り出す「出会いサイト」や「掲示板」として成立している。そうしたものにつながらないためにはどうしたらいいか、ということを書いています。

『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』というタイトルを見たとき、私はてっきり、Facebookの「いいね!」の付け合いが、リアルな人のつながりよりも「軽い」から耐えられない、ということを書いているのかと思いました。



このブログでは過去に、「『ネットのバカ』が嘆く「Facebookは気持ち悪い」の真意は?」「『ネットのバカ』の中川淳一郎氏、ネットとスマホに警鐘を乱打!」という2つの記事で、中川淳一郎氏の『ネットのバカ』という書籍について書いています。

中川淳一郎氏は、ネットのつながりとリアルのつながりは違う。人が付き合えるのは30人ぐらいが限度。ネットのつながりに熱中するよりも、その枠に入るリアルな人間関係を大事にしよう、と主張しています。

私もその意見には基本的に賛成です。

ところが、今回の書籍でいう「つながらない」というのは、Facebookの「いいね!」競争に参加しないというだけでなく、そもそもネット自体と縁を切りたい(つまりつながらない)、という主張です。

それですと、ちょっと話は変わってきます。

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ネットの感想サイトを見ると、同様の期待と落胆をした人もいるようで、「タイトルがとってつけたよう」というレビューもありますが、私もそう思いました。

どういう意図でつけたのかわかりませんが、タイトルと中身が違うと、それだけで評価は下がります。

問題があるからといって全否定するのか?


同書によると、ネットの話し言葉は、紙媒体の言葉に比べると軽い。その軽さでコミュニケーションが荒廃し、政治家や官僚たちの暴言、失言の数々や、「出会いサイト」や「掲示板」から発生する事件などがある。

そこで著者は、ネットとつながる(ネットを利用する)ことを否定し、あえて「つながらない」ことに価値を見出す選択肢を提案するという構成です。

同書から、著者の言葉でそれを述べているところを引用します。
本書のテーマはつぎの三点です。一つ目は、ネットの普及によって紙に記される「書きことば」が急速に衰退していること。二つ目は、それによって国や経済のあり方はもとより、ぼくたちの人間関係と思考そのものが根本から変わろうとしていること。三つ目は、だからこそ人はネットをはなれて「読むこと」「書くこと」が必要なのだということです。
結論から書くと、ネットに問題点があることはそのとおりだと思います。

しかし、だからネットを離れよう、という意見には全く賛成できません。

著者の哲学はひっきょう、新しい文化や媒体や通信手段に対して、それを「外敵」と見立てて新しい可能性に背を向け、旧来のものを守るだけになっている前向きでない結論です。

言われるまでもなく、ネット掲示板などがリアル社会に問題を持ち込んでいる事実はあります。

しかし、ネットによって、これまでなら考えられないような成果もあるじゃないですか。

ネットを利用しながら、指摘される懸念や危機感を克服する、という解決を考えようとせず、いきなりネットそのものを否定するというのは、相克から逃げているわけですから、結局何も考えていないのと同じことです。

では、ネットを利用しながら、指摘される懸念や危機感をどう克服したらいいのか。

ネットとリアルは価値観の異なる世界

という当たり前の認識をユーザーが持てば、解決する問題だと私は思っています。

たったそれだけのことです。

リアル世界の名文とネットの名ブログは違う


たとえば、ネットの言葉と、著者がいうところの「紙に記される『書きことば』」は違います。

プロブロガーやアフィリエイターならご存知と思いますが、作家の名文はそのままブログでは使えません。

既存の作家の著作を、「自炊」(←紙媒体の文字を電子データにスキャンニングすること)で電子化してそのままアップしてもダメなんです(著作権問題を抜きにしても)。

何となれば、ネット界の編集長は、検索エンジンという機械だからです。

たとえば、代名詞を使ったほうが綺麗に収まる場合でも、具体的にその指すものを書いたほうが、検索エンジンは高く評価します。

文学作品なら、婉曲に書いたり、比喩を使ったりするほうが文章として高く評価されます。

しかし、検索エンジンは現時点では文芸的な価値を判定できません。そこで、そんな技芸よりも、ズバリ書いたほうが高く評価されます。

要するに、「うまい文章」「きれいな文章」よりも「ベタでもわかりやすい文章」の方がネットの世界では評価が高いのです。

この時点では、リアルな世界のほうがネットよりも「レベルが高い」ように見えるでしょう。

しかし、検索エンジンは日々進化します。リアル世界の文芸的価値とは違う、新しい価値観の創出を将来行うかもしれないのです。

自称「暴走老人」のこの著者は、そういう発想ができないのです。

違うものなのに比較して、即ネットの言葉を否定しています。

文化の発展を見ることができないのは、厳しい言葉で表現するなら思考停止しています。

旧弊なリアルの常識にこだわらず自由にやってみればいい


では、ネットとリアルは違う、ということをはっきりさせるためにはどうしたらいいのか。

古くは「ネチケット」なんていう言い方がされましたが、リアルのふるまいや価値観の善悪を、そのままネットの道徳に持ち込むようなくだらないことは、ただちにやめることです。

ほかでもない、この著者自身が、それができていないから、ダイレクトにネットとリアルを比較して、リアルの危機だと叫んでいるのです。

ネットとリアルは別、といっても、ネットなら名誉毀損をしてもいい、犯罪に利用してもいい、ということではありませんよ。

たとえば、Facebookの友だち申請には挨拶から始めないやつは失礼だとか、ブログやそのコメントにああでもないこうでもないと作法を求めるとか、「リアルの行儀」をネットにそのまま持ち込んでも、新しい価値観の創出は期待できないといっているのです。

たとえばですよ。

優れた思考ができて、人を思う気持ちもあって、でも挨拶が苦手で、リアル社会では誤解されている、という人がいたとしましょう。

そういう人には、ネットの世界ぐらい、そんな瑣末なことに気を使わせずに自由にやらせてみることです。

その人が、リアルではチャンスがなかった能力をいかんなく発揮することで、本人だけでなくかかわる人全てにメリットがあるかもしれません。

リアル、ネット、それぞれの特性を上手に使って、能力や人間性の全面開花に道を開けばいいとおもいます。

ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ

ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ

  • 作者: 藤原 智美
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/01/29
  • メディア: 単行本


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