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努力は必ず報われる?本当にそう思いますか? [芸能]

努力は必ず報われる

「努力は必ず報われる」論争を、J-CASTニュースが取り上げていましたね。日本人が好みそうな美学ですが、努力したら報われるなどという合理的な根拠はありません。今回は明石家さんまが「そんなこと思う人はダメですね、間違い」とキッパリ否定したことで、ネットではまた議論が盛り上がっているようです。あなたは「努力は必ず報われる」派ですか?

明石家さんまが発言したのは、2014年6月7日放送の「MBSヤングタウン土曜日」(MBSラジオ)。記事は『「努力は必ず報われる」論争に明石家さんま参戦 「そんなこと思う人はダメですね、間違い」』(J-CASTニュース 6月9日17時48分配信)というタイトルです。
有名人の「名言」や「珍言」をリスナーがメールで紹介する「名言珍言ゆとっtter」というコーナーで、この日ゲストだったアイドルグループ「アップアップガールズ(仮)」の佐藤綾乃さんがインタビューで言っていたという、こんな話が紹介された。
 「努力は必ず報われる。その言葉、最初は信じなかったんですよ。そんなこと言っても、本当に努力を見てくれてるのかよって。でも、自分の経験上、努力をしていれば必ず誰かが見てくれていて、報われることがわかりました」
 これに対しさんまさんは、「それは早くやめた方がええね、この考え方は」とバッサリ。佐藤さんやレギュラーメンバーのモーニング娘。道重さゆみさんが驚いていると、「努力は報われると思う人はダメですね。努力を努力だと思ってる人は大体間違い」と持論を展開した。
「好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。これが報われるんだと思うと良くない。こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ。人は見返り求めるとろくなことないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね」
このブログでは過去に、明石家さんま個人について「明石家さんま、生い立ちと生き方評価がトレンド」で、かつて出演していたドラマについては「男女7人秋物語、“理不尽”ストーリーとシャカタクのBGM再び」で、芸能トレンドネタとしては「明石家さんま引退と島田紳助復活のXデー!?など『テレビ芸人裏素顔』」で書きましたが、とくに批判的なことは書いてませんね。

今回も、私の結論は明石家さんまに賛成です。

この世の中、努力をすれば報われる合理的根拠などはないからです。

つまり、努力をすれば報われるというのは、客観的に正しくないのです。

私たちは、偶然と必然の複雑系において生きています。

努力はしょせん「必然」の部分しか克服できません。

たとえば、入学や資格試験に合格したくて努力し、本人の能力では到達できていても、試験の日に交通事故にあったり急病になったりしたら報われることはありません。

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そんなの極端だ、レアケースだと思いますか。

そう思える人は、これまでの人生で、不条理を感じる不幸不運の経験のない幸せな苦労知らずの人なのでしょう。

それだけではありません。

そもそも、努力するのは、環境自体が恵まれている(幸運)からであり、人によっては努力すらできない場合もあるのです。

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たとえば、前出のJ-CASTニュースによると、ソフトバンクホークスの王貞治会長が、「努力が報われないことなどあるだろうか。報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは呼べない」と語っていた(安枝新伍さん著『野球魂―素顔の王監督』より)ことが紹介されています。

王貞治氏のひたむきな努力は、868本の本塁打という結果を出しています。

ですから、自分の成功を根拠に努力することを強調する王貞治氏は間違っていません。

しかし、王貞治氏が努力したその前提には、荒川博氏という師匠がいて、それを認めた巨人軍の度量があって、かつ、努力に耐える体力がありました。

それらが揃って、王貞治の努力が成立しているのです。

たとえば、王貞治氏に意欲があっても、地方の貧乏球団に入団していたら、同じことは無理だったでしょう。

つまり、王貞治氏と同じ努力をしたいという意欲があっても、できない人だっているかもしれないのです。

努力できるというのは、それ自体が天分であり、幸運なのです。

にもかかわらず、努力するのが当たり前→自己実現できないのは努力がたりないから、という論理が正当化されてしまったらどうでしょう。

・努力しても「偶然」のアクシデントなどで自己実現できない不運が考慮されない非合理な評価につながる
・努力しない人生観・価値観が否定されてしまう

それによって、努力しない人、努力できない人、努力の成果をアクシデントで得られなかった人などは、おそらく自己の尊厳をスポイルされ、人や社会を恨んだり、自分に自信が持てなくなったりするのではないでしょうか。

頑張ることを評価する健全さはもちろん否定すべきではありませんが、頑張らない奴は「ダメな奴」という紋切り型のレッテルにつながりなねない精神論は容認できません。

思うに、我が島国日本人は、個人的な価値観に、すぐ普遍的な意味や思想や美学を求めたがるのです。

もちろん、個々人の生き様が社会的な反映という面はあるのですが、個人的な価値観をダイレクトに社会全体の美学にしたがるのは合理性を欠いています。

「ねばならない」「がんばろう」は、集団で何かを獲得する活動でない限り、本来その人個人の問題です。

努力しない生き方、努力できない事情、努力が報われない不条理、

人はみな、そうしたざざまな価値観や事情によって生きています。

それをかきけしてしまうようなけたたましい“進軍ラッパ”の鳴り響くイケイケの世の中にはしてほしくないと私は思っています。

なぜ、明石家さんまは「場を盛り上げる」のがうまいのか?

なぜ、明石家さんまは「場を盛り上げる」のがうまいのか?

  • 作者: 内藤 誼人
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2013/01/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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