学歴信仰。我が国ではいまだに根強いようですね。でも、それは文字通り「信仰」に過ぎません。つまり合理的ではないということ。学閥や、給与・採用条件等学歴による客観的な格差だけが事実であり、その人が「成功」できるかどうかの本質は、その人の生き方と運と環境による複雑系ではないでしょうか。
『AERA』(2014年6月16日号)に、「高学歴親が子どもを追い詰める 理論攻めで子どもの逃げ場なし」という記事が出ています。
要約すると、「MARCHと同等の関西有名大学」出身の親が、大学時代の友人と偶然会ったとき、連れていた大学生の長女を指して「負け組」とコバカにし、「最低でもMARCH(マーチ)くらいには行ってほしかった」と宣ったという話が冒頭に出ています。
で、その友人とやらも、娘には可愛そうだが内心ではそう思ったとダメ押し。
後半は、高学歴の親は、自分ができるから子供もできるはずだと考えてしまい、子どもにより添えないというお説教が書かれています。
ネットに記事が出ているので、関心のある方はご確認ください。
ただし、おそらく数日過ぎると記事が消えてリンク切れになってしまうので、「高学歴親が子どもを追い詰める 理論攻めで子どもの逃げ場なし〈AERA〉」で検索してください。
MARCH。一応書くと、明治、青山学院、立教、中央、法政の各大学ですね。
この記事、学歴信仰や高学歴者にありがちな問題点を書きたいらしいのですが、ライターのセンスが悪いなあと思いました。
だって、そのマクラなら、突っ込むところが違うだろうって思いませんか。
ご説明しますね。
大学のヒエラルキーって、やっぱり頂上は東大なんですよね。
「高学歴の親の“間違った”上から目線」の記事を書きたいのなら、東大出の親を出さないと記事として伝わらないんじゃないでしょうか。
冒頭の「MARCHと同等の関西有名大学」って、いわゆる関関同立のことを言いたいらしいですが、いずれにしても、相撲で言ったら、しょせん関脇や小結でしょう。横綱じゃないんですよね。
それが平幕をコバカにするって話ですから、メクソハナクソでしょう。
横綱は負け越しても落ちないけど、関脇や小結は負け越せば平幕に落ちるんです。
10年後を考えた時、たぶんその時も頂上は東大でしょうが、MARCHあたりの大学の序列は変わってるかもしれないんですよ。MARCHなんてくくり方自体、最近出てきた言葉でしょう。
なのに、MARCHがそれ「以下」の大学をコバカにするということに、どれだけ合理性・正当性があるのか。
そもそも、キャリア公務員や、伝統的一部上場企業や、電気・ガスなどの基幹産業などでは、MARCHを「高学歴」なんて誰も思っちゃくれません。
そういう会社におられる方、おられた方なら、ご存知ですよね。
この記事の設定だったら、「高学歴者の学歴信仰」を問題にするのではなくて、合理的な差もないブランドに差別的価値を見いだす、島国日本人らしいジェラシーとコンプレックスと自己満足の病理を指摘した方がいいんじゃないでしょうか。
私がアンカーライターで、データマンから今回のような原稿をもらったら、そうまとめますね。
まあ、朝日系の『AERA』らしい上滑りの観念論記事だなあと思いました。
子どもには逆襲のポテンシャリティーがある
編集部のセンスへのツッコミはこのへんにして、本題の学歴信仰ですが、やっぱり今もあるんでしょうか。
冒頭のAERAの記事では、「高学歴」の親が我が子を学歴原理主義で追いつめる、という書き方なのですが、私はそこで記事が終わるのは一面的だと思います。
たしかに、そういう環境なら、子は、きっと「進軍ラッパ」と罵倒で育てられて苦しかったでしょう。
が、その人は社会に出てから、学歴のあるなしにかかわらず社会で活躍するいろいろな人と出会い、人間のポテンシャリティーの深さを知ることになると思います。
翻って、今度は自分の親に対して、「たかが関関同立の分際で学歴原理主義なんてちゃんちゃらおかしい。人間がちーせーんだよ」と思う時が来ると思います。
つまり、中途半端な学歴をひけらかしてきたバカ親は、いずれ社会の大きさを知った子供にコバカにされる報いが来ることだってあるのではないかと思うのです。
社会に出ればすぐにわかりますが、世の中には、学歴・学閥のシステムを上手く利用して自分をキャリアアップさせることの出来る人、いわゆる叩き上げとか、ベンチャーで大きな仕事をしている人など、いろいろな人がいます。
前者にとって、学歴は手段としては否定できませんが、少なくとも目的ではありません。
要するに、人生の目的と方法論をしっかり考えられる人であるかどうかが、社会で自己実現できるかどうかの決め手ではないでしょうか。
私自身は、人生いろいろで、2つの大学に入ってしまいましたが、結局大火災で、「負け組」どころか、今や折り返しをとっくに過ぎているのに人生に見通しが立たくなってしまった情けない一文無しです(涙)
私のような経験をすると、学校がどこだ、なんて話は、瑣末な、やくたいもないことにしか思えません。
真面目にやってれば、いい大学に入れば、なんていう思いで築いたものなど、人生のあらゆるところに潜む悪い偶然によって、物質的にも精神的にもあっという間に失ってしまうかもしれないんですよ。
でも、人生の目的と方法論がしっかりしている人なら、命あるかぎり再生はできるでしょう。
たぶん大学では、そんなことは教えてくれないでしょうけどね。
人の親なら、我が子にはそのくらいのことは教えてやってほしいものです。
非学歴エリート
- 作者: 安井元康
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2014/05/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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