『続・社長漫遊記』鑑賞、フランキー堺を思い出し成田山成心寺へ [東宝昭和喜劇]
『続・社長漫遊記』(東宝、1963年)がDVDに収録された『東宝昭和の爆笑喜劇Vol.31』が発売されたので、早速鑑賞しました。6月10日は、同作出演者フランキー堺の祥月命日です。ジャズドラマーから俳優、司会者として活躍したフランキー堺が、幼少の頃を過ごした東京大田区にある成田山成心寺にも足を運んでみました。
『続・社長漫遊記』というタイトルが示すように、『社長漫遊記』には正編があります。
森繁久彌主演の社長シリーズは、全部で33作ありますが、ひとつの設定で正編・続編の2本ずつ撮られています。
正編の『社長漫遊記』は、このブログ「戦後史の激動」の「『社長漫遊記』で若戸大橋開通と塩沢ときを観る」で、「良く言えばこれからいろいろあるのかな、という期待をもたせ、悪くいえば中途半端な終わり方」と書きましたが、それはストーリーの話で、劇中のフランキー堺は大活躍でした。
フランキー堺は、社長シリーズでは毎回おかしげな日本語を話すバイヤーの役どころですが、今回は、森繁久彌社長の会社が取引したい、アメリカ塗料会社の社長秘書兼通訳(日系三世)の設定です。
森繁久彌社長が通っているクラブに、先客として来ていたフランキー堺は、
西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』を怪しい日本語で熱唱
ハンカチを取り出し、管楽器に見立てて「演奏」
森繁社長と口論になると、両手で指を鳴らしてリズムを取りながら喧嘩のポーズ
かつて自らが進駐軍のキャンプで演奏していた、ジャズ・ドラマー時代の経験を生かした演技で作品を盛り上げています。
さすが、「フランキー」を名乗って進駐軍のキャンプを渡り歩いていただけのことはあります。
私が、しばしばブログで記事にする、クレージーキャッツの、桜井センリ、植木等、谷啓などは、もともとフランキー堺とシティ・スリッカーズ、というバンドで一緒に演奏していました。
といっても、私はその頃のフランキー堺はわかりません。
私が知っているのは、『喜劇駅前~』(東京映画、東宝)や、『~旅行』(松竹)など、一連の喜劇映画やテレビドラマから。
つまり、俳優としてのフランキー堺しかリアルにはわからないのですが、今回のような作品を鑑賞して、フランキー堺の芸やキャラクターから、ジャズドラマー時代にさかのぼって興味を持つようになりました。
それにしても、慶大(フランキー堺)、早大(桜井センリ)、東洋大(植木等)、関東学院大→中大(谷啓)と学校こそ違いますが、この人たちは、学籍がある頃から堂々と音楽活動をしているのです。
たぶん、進駐軍相手のジャズ演奏活動は当時不良呼ばわりされたことでしょう。
せっかく親に大学にまで入れてもらったんだから、かたいところに就職しろとか、周囲から余計な忠告もあったのだろうと思います。
私などは小心なので、学生時代は、単位落としたら、留年したらどうしようなどと後ろ向きなことばかり考えていましたが、きっとこの人たちは悔いのない青春時代を過ごしたのだと思います。そして、それがその後の芸能界での活躍につながっているのです。
今の若い人たちの中には、学生で起業する人がいて賛否両論ありますが、せっかくやりたいことが見つかったのなら、大いにやったらいいんじゃないかと私は思います。
『続・社長漫遊記』のストーリーの方は無事契約にこぎつけ、フランキー堺はヒロインのひとりである雪村いづみと親しくなるというてハッピーエンドです。
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ところで、池上通りという大森から国道1号線まで続くバス通沿いに、成田山成心寺という真言宗智山派の寺院があります(住居表示では東京都大田区中央)。
ここの石塀の一画には、「上目黒、フランキー堺」と刻まれています。
私が気付いたのは1970年代。フランキー堺がどのような関係があるかを寺院関係者にたずねたことはありませんが、いずれにしても寄進があったのでしょう。
まあ常識的に考えられるのは、檀家であるか、もしくは菩提寺が決まるまで、肉親のお骨を預かってもらったのではないか、ということです。
ただ、フランキー堺の場合、この寺院のすぐ裏にある池上第二小学校出身のため、宗教的なつながりではなく、たんに元ご近所のよしみということだったのかもしれません。
フランキー堺は、小学校から成人するまで池上に居住していたそうですが、私も小学校の時に池上にやってきたので似ています。私はもう少し長く暮らしましたが……。
私が住んでいたのは、有名な池上本門寺のある1丁目などの高級住宅地ではなかったし、そんなにいい思い出もないのですが、あのフランキー堺と同じ町の出身である、ということだけは唯一誇らしく思えることです。
『続・社長漫遊記』というタイトルが示すように、『社長漫遊記』には正編があります。
森繁久彌主演の社長シリーズは、全部で33作ありますが、ひとつの設定で正編・続編の2本ずつ撮られています。
正編の『社長漫遊記』は、このブログ「戦後史の激動」の「『社長漫遊記』で若戸大橋開通と塩沢ときを観る」で、「良く言えばこれからいろいろあるのかな、という期待をもたせ、悪くいえば中途半端な終わり方」と書きましたが、それはストーリーの話で、劇中のフランキー堺は大活躍でした。
フランキー堺は、社長シリーズでは毎回おかしげな日本語を話すバイヤーの役どころですが、今回は、森繁久彌社長の会社が取引したい、アメリカ塗料会社の社長秘書兼通訳(日系三世)の設定です。
森繁久彌社長が通っているクラブに、先客として来ていたフランキー堺は、
西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』を怪しい日本語で熱唱
ハンカチを取り出し、管楽器に見立てて「演奏」
森繁社長と口論になると、両手で指を鳴らしてリズムを取りながら喧嘩のポーズ
かつて自らが進駐軍のキャンプで演奏していた、ジャズ・ドラマー時代の経験を生かした演技で作品を盛り上げています。
さすが、「フランキー」を名乗って進駐軍のキャンプを渡り歩いていただけのことはあります。
私が、しばしばブログで記事にする、クレージーキャッツの、桜井センリ、植木等、谷啓などは、もともとフランキー堺とシティ・スリッカーズ、というバンドで一緒に演奏していました。
といっても、私はその頃のフランキー堺はわかりません。
私が知っているのは、『喜劇駅前~』(東京映画、東宝)や、『~旅行』(松竹)など、一連の喜劇映画やテレビドラマから。
つまり、俳優としてのフランキー堺しかリアルにはわからないのですが、今回のような作品を鑑賞して、フランキー堺の芸やキャラクターから、ジャズドラマー時代にさかのぼって興味を持つようになりました。
それにしても、慶大(フランキー堺)、早大(桜井センリ)、東洋大(植木等)、関東学院大→中大(谷啓)と学校こそ違いますが、この人たちは、学籍がある頃から堂々と音楽活動をしているのです。
たぶん、進駐軍相手のジャズ演奏活動は当時不良呼ばわりされたことでしょう。
せっかく親に大学にまで入れてもらったんだから、かたいところに就職しろとか、周囲から余計な忠告もあったのだろうと思います。
私などは小心なので、学生時代は、単位落としたら、留年したらどうしようなどと後ろ向きなことばかり考えていましたが、きっとこの人たちは悔いのない青春時代を過ごしたのだと思います。そして、それがその後の芸能界での活躍につながっているのです。
今の若い人たちの中には、学生で起業する人がいて賛否両論ありますが、せっかくやりたいことが見つかったのなら、大いにやったらいいんじゃないかと私は思います。
『続・社長漫遊記』のストーリーの方は無事契約にこぎつけ、フランキー堺はヒロインのひとりである雪村いづみと親しくなるというてハッピーエンドです。
成田山成心寺の石塀に今も刻まれるフランキー堺の名
ところで、池上通りという大森から国道1号線まで続くバス通沿いに、成田山成心寺という真言宗智山派の寺院があります(住居表示では東京都大田区中央)。
ここの石塀の一画には、「上目黒、フランキー堺」と刻まれています。
私が気付いたのは1970年代。フランキー堺がどのような関係があるかを寺院関係者にたずねたことはありませんが、いずれにしても寄進があったのでしょう。
まあ常識的に考えられるのは、檀家であるか、もしくは菩提寺が決まるまで、肉親のお骨を預かってもらったのではないか、ということです。
ただ、フランキー堺の場合、この寺院のすぐ裏にある池上第二小学校出身のため、宗教的なつながりではなく、たんに元ご近所のよしみということだったのかもしれません。
フランキー堺は、小学校から成人するまで池上に居住していたそうですが、私も小学校の時に池上にやってきたので似ています。私はもう少し長く暮らしましたが……。
私が住んでいたのは、有名な池上本門寺のある1丁目などの高級住宅地ではなかったし、そんなにいい思い出もないのですが、あのフランキー堺と同じ町の出身である、ということだけは唯一誇らしく思えることです。
東宝 昭和の爆笑喜劇DVDマガジン 2014年 6/17号 [分冊百科]
- 作者:
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/06/03
- メディア: 雑誌
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