『クレージーだよ奇想天外』(1966年、東宝)を収録した『東宝昭和の爆笑喜劇Vol.30』が今週の火曜日に発売になりました。このブログで何度もご紹介した東宝クレージー映画の中では、唯一、谷啓が単独で主役をつとめています。『アルプスの若大将』と同時上映され、東宝の興行収入や観客動員の新記録を打ち立てたそうですが、なるほど魅力ある傑作に仕上がっています。
東宝クレージー映画というと、イメージとしては植木等の「無責任」「ホラ吹き」「C調」といった規格外キャラによる、試行錯誤を重ねたサクセスストーリーというドタバタイメージが強いのではないでしょうか。
『クレージー作戦くたばれ!無責任』より
全30作は全体として喜劇であることには違いないのですが、監督によって作風は変わります。
今作は、『クレクレタコラ』という子供番組を作ったこともある坪島孝監督です。
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東宝クレージー映画を支えた2人の監督の違い
東宝クレージー映画は、古澤憲吾という人と、坪島孝という人がメインでメガホンをとってきましたが、2人の作風は180度違います。
今作のレビューの前に、その違いを前置きとして書かせていただきます。
古澤憲吾監督は、作中にショータイムがあるミュージカル調という東宝クレージー映画の基本的な構成を作った功績はあります。
が、自他ともに認めるタカ派的な思想が、作品にストレートに入ってくるところが、私には実はちょっと苦手です。
たとえば、クレージーキャッツ10周年記念映画『大冒険』(1965年、東宝)では、ヒットラーが生きていたことになっていて、しかも、「憧れだった」という台詞まで植木等に言わせています。
日本共産党員で警察に引っ張られたこともある、浄土真宗の住職だった父親を尊敬し続けた植木等に、なんとも酷な台詞だなあと思いますが、右だから、タカ派だからという意味ではなく、それをストレートに持ち込むところが、映像芸術者としてはもうひとひねりできなかったのかなと私は思います。
つまり、そのものズバリの台詞をつかわずに、映像やストーリーで見るものに訴えていくのが映像芸術家のあり方だと思うからです。言葉で訴えるのは政治家の選挙演説に任せておけばいいのです。
その点、坪島孝監督は、ファンタスティックな喜劇の中に、社会風刺や人間の本質を滲ませるという繊細な演出を目指していたようです。
私が見るところ、その考え方は、『男はつらいよ』の山田洋次監督に近い人だな、とおもいます。
たとえば、『クレージー作戦、くたばれ無責任』(1963年、東宝)では、高度経済成長期のさなかに、社員を駒としか考えていない企業に対する風刺がモチーフになっているし、『怪盗ジバコ』(1967年、東宝)では、日本中の工場を1日でいいから全面的にストップして、空気を綺麗にしろと工業会の会長に迫っています。
北杜夫の原作では、ジバコはそのような「社会派」ではなかったと思います。
ところが、今回の『クレージーだよ奇想天外』。予告だけを見たら、子供だましのキンキラ衣装(宇宙人の服装)を来て、ストーリーはハチャメチャらしく、さらに戦争シーンが出てくるのに、古澤憲吾監督ではなく坪島孝監督作品ですから、二重にがっかりするのではないでしょうか。
ところが、観ると、その思いがいい意味で外れているはずです。
笑い、そして切ない結末
遊星アルファのミステイク7(谷啓)は、長官(植木等)から、地球上から戦争をなくせと指令を受けます。
そして、日本の「死の商人」(戦争産業)である大聖化学の新入社員・鈴木太郎(桜井センリ)が交通事故にあった時に、その体に乗り移ります。
異星の文化がわからず失敗を重ねながらも、「鈴木太郎」は大聖化学をバックに国会議員に当選。
ところが、大聖化学が求めていた「平和法案」とは、法案名とは正反対に新型核爆発弾の開発を促すものでした。
国会に紛れ込んだ「不届き者」(植木等=2役)からそれを知らされた「鈴木太郎」は、与党議員ですが反対に回りますが、大聖化学会長(進藤英太郎)の逆鱗に触れて社会的地位を失います。
ミステイク7は遊星アルファに帰りますが、女性を愛することを知ったために自分から希望して再び地球人に。
が、意中の人(星由里子)は、ミステイク7が体から出て行ったあとに“生き返った”本物の鈴木太郎と結婚してしまった上に、本物のミステイク7のことは覚えていません。
あの……(ぼく、覚えていませんか?)
?
失恋という人間らしい経験をして、ミステイク7は地球人として生きていく、というストーリーです。
この最後の切ないシーンは、東宝クレージー映画30作の中でも屈指の名場面といわれています。
助演陣の怪演も見どころ
この作品は、坪島孝監督があたためていたプロット『天国から来た男』を、やはり風刺喜劇好きの脚本家・田波靖男氏が仕上げました。
他者に乗り移るというストーリーなら、『天国から来たチャンピオン』(1978年、アメリカ)を思い出されるのではないでしょうか。
私もこの作品、当時二子玉川の二等館で『がんばれタブチくん』との併映で観て以来、好きで何度も観なおしています。
ただ、この作品は人間が人間に乗り移るもので、しかも最後は、ハッピーな展開を示唆して終わっています。
異文化という前提で現代人を見る視点や、切ない結末は、未来人が遊びに来たテレビドラマの『俺はご先祖さま』(1981年、日本テレビ)に近いのではないかと思います。
SFコメディというと、特撮や現実離れした設定から、ついお子様向けの話のようなイメージがありますが、『クレージーだよ奇想天外』はその認識を変えさせられる傑作だと思います。
植木等、藤田まこと、内田裕也ら助演陣の怪演も見どころです。
内田裕也って役者としても面白いですね。
こんなに面白くて心温まる作品が50年近く前に作られているなんてねえ。洋画が格好いいと思ってる人々。邦画も侮れませんよ。
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