若水ヤエ子。昭和30~40年代にかけて活躍した国民的喜劇女優です。今月28日で没後41年たっている“伝説の人”ですが、最近、沈没船問題で自国民からも叩かれているらしい韓国の朴槿恵大統領に、若水ヤエ子が似ているとネットで話題になり、にわかに急上昇キーワードになりました。(上の画像はBS11『なにはなくとも全員集合!!』より)
それにしても、ネトウヨは、若水ヤエ子の現役時代をどのくらい知っているのでしょうか。
たくさんある写真の一部でそう判断しただけかもしれませんが、似てるかなあ。
『笑わせる女―喜劇女優・若水ヤエ子を妻に14年』(オリオン出版社、1968年)より
『クレージー先手必勝』(東宝、1963年)より
本名は鏑木八枝子、結婚後は村上八枝子。
若水ヤエ子は水谷八重子からとったもの。
家系図をたどると平将門にあたるといいます。
まあ、役者は家系や経歴もギミックのうちといいますが、父親が両国駅助役の堅い家に育ったのは本当らしい。
若水ヤエ子については、このブログの「
『クレージー作戦 先手必勝』は豪華出演者による異色クレージー映画」で簡単に触れたことがあります。
私が子供の頃は、寄席中継以外のお笑い分野の番組では、必ず若水ヤエ子、水の也清美、小桜京子(現日本喜劇人協会副会長、会長は小松政夫)などが脇を固めていて、若水ヤエ子はその中でも、かなり重要な役であることが多かったように記憶しています。
関西は吉本新喜劇というのがありますが、私が見た範囲では、未知やすえとか、末成由美とか、島田珠代とか浅香あき恵とか、山田花子とか、伝統的に、笑わせる決まり文句を持っていたり、すでにキャラがはっきりしていたりして、それに基づいた振る舞いが笑いの対象であることが多いですよね。
つまり、彼女たちの個性がまずあって、それをもとに脚本が作られるという感じです。
昔の関東のお笑いはその点は、いわゆる“ナチュラル芸人”で、ベースにギャグを持っているわけではなく、台本によって笑わせる人物像をその都度作りこんでいったよう思います。
ただ、声が妙に甲高くて、奇声ということになっていましたが、可愛らしい声を出していると思いましたね。
若水ヤエ子にしても小桜京子にしても。
そんな若水ヤエ子の実像に迫った記録はそれほど多くなく、一冊の書籍としてほぼ唯一といっていいものは、夫である村上清寿氏の書いた『笑わせる女―喜劇女優・若水ヤエ子を妻に14年』(オリオン出版社、1968年)だけだと思います。
スポンサーリンク↓
婦唱夫随
『笑わせる女―喜劇女優・若水ヤエ子を妻に14年』の主たるテーマは、喜劇人としての若水ヤエ子の研究や批評ではなくて、放送作家の夫が喜劇人の妻と暮らしてみたところ、こんな結婚生活です、という話です。
いいことばかりではなく悪いことも正直に書いています。というより、そちらがメインかもしれません。出会いから始まる、浮き沈みのある夫婦生活を面白おかしく書いています。著者曰く「くだらない話を臆面もなく」延々と書いているものです。
今、振り返って喜劇役者・若水ヤエ子を知るというよりも、当時、喜劇人として名前と姿形が知られている人気絶頂の若水ヤエ子の私生活はどんな感じなのだろう、ええ、こんなかんじです、というモチーフの書籍です。
読むと、なんかいつも夫を罵ってるんですね(笑)
少し言い過ぎという感じも。アマゾンのレビューではそれで星を減点している方もおられますね。
でも、ビジネスでイマイチ化けられない夫のために、ずいぶんいろいろ世話を焼いていました。
婦唱夫随ですね。
もともと夫婦は他人。その上、放送作家と喜劇役者。同じ業界だからやりにくいこともあると思います。
当時から、芸能人同士や業界人との結婚→離婚はありふれた話でした。
「このひとがいなくちゃ淋しくてたまらないと思う時もあれば、こいつさえいなければ夜の闇も消えるんだと思う時もあった」
同書にはそう書かれていますが、これは夫婦の至言かもしれません。
村上夫妻は別居したこともありましたが、その間、若水ヤエ子は、先輩女優の飯田蝶子に相談もしたようです。
そのとき、若水ヤエ子は夫の悪口ばかりを言う。飯田蝶子はそれを聞いて、「あゝ、この二人は駄目だ」ではなく、「ハハア、この人は別れきれない。旦那を愛してるわ……」と思えてきたといいます。
それ自体、深い見方ですが、さらに飯田蝶子はこう言ったといいます。
「別れちゃいなさい。旦那の悪い点だけ思い出して、きっぱり決心しちゃいなさい!」
慰めて気持ちを収めるのではなく、「別れきれない。旦那を愛してる」ことを見ぬいたのに、逆に背中を押したわけです。どうしてか。
「ああ可哀想に、とは思うけど、結局は誰に頼るべきものでもないでしょう、愛とか憎しみとかに関することなんて……。悩んで苦しんで、そのなかから、ほんとうの自分の生きかたを掴み出していくよりはかはないんですからねえ!……」
自分で考えさせた、というわけです。
その飯田蝶子さんの話で書籍は結んでいます。
「(浮気ばかりしていた夫は亡くなりましたが)もしもあたしが、あと七、八十年生きられるから再婚しなさいって言われても、ポカツと空いたところを埋めてくれるのは、主人以外にいないのよ。あたしじゃなく主人が生き残っても、同じじゃないかしら。自惚れじゃないと思うのよ。夫婦ってのは、いつの問にか、歯車がその人としか噛み合わなくなっちゃってるものらしいわよ……」
親子の間ですと、どんな親でも親は親、ということから、そんな気持ちになるのはわかるのですが、他人同士の夫婦でも、長年連れ添っているとそういう感じなんでしょうね。
なかなか読み応えのある書籍でした。
Facebook コメント