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親を捨てるのは親不孝?自称「親孝行」の人生はそんなに美しいのか

親を捨てるのは親不孝?「親子の情」に引きずられて自分の人生を失ってはならない そう問いかけて親の捨て方を記事にしているのは、今週号の『週刊現代』(3月22日号)です。かなり思い切った切り口ですが、家庭のある人なら、家庭を持った兄妹に親の面倒をお願いしている人なら、避けて通れない問題だと思います。

週刊現代・老いた親の捨て方.png

記事のタイトルは『大特集 みんな悩んでいる「老いた親」の捨て方』。3部構成になっていて、第1部は「親を捨てるか、妻から捨てられるか」、第2部は「大丈夫、本当はみんな『捨てたい』と思っている」、第3部は「共倒れになる前に捨てなさい」。具体的な内容は部ごとの小題の通りで、当事者や識者の談話を交えて記事を構成しています。

趣旨を記事から一部引用します。
「自分を産み育ててくれた親の老後の面倒を、子供が見るのは当たり前」ー。これは、昔から日本人の心に深く根差してきた美徳ともいえる心情だ。だが、この「美徳」を守り、自らの老後を親のために捧げた結果、身を滅ぼしてしまう人々が後を絶たない。
 伝統的な常識が通用したのは、平均寿命が50~60歳と短かった時代の話だと、老後の「片付け問題」に詳しいやましたひでこ氏は言う。平均寿命が80歳を超え、世界一の長寿大国となった今、事情は全く変わってきているというのだ。(中略)
深く考えず、子供が親の面倒を見るのは当たり前、妻が介護するのは当たり前、と思考停止に陥った時点で、すでにその夫婦関係にはほころびが生じている。
これは介護を妻に押し付けるだけでなく、独身の人や、家庭を持っている人でも自分が直接介護をする人に当てはまる話です。

寝たきりでない独居老人でも、面倒を見る子供からしたらがどれだけ大変か。

私のように、長男で自分一人で老親を背負っている者からすると実によくわかる話です。

人間、1日24時間。仕事のことも家庭のこともしなければなりません。人間らしく暮らしたいなら趣味の時間も持ちたい。

それなのに、老齢の親の、やらずもがなの失敗や、ボケたための咬み合わない会話などに付き合わされる時間とエネルギーの損失がどれだけ不毛でつらいものか。

それも親孝行だから楽しいと思う人はやっていればいいでしょう。

ただ私はそれを悲しいとは思っても、楽しいとは思えません。

でも、どんな親でも親は親と思って、生きている間は「親孝行」せざるを得ない。

当然、生活の他の部分が犠牲になります。

中には家庭が崩壊する人もいるでしょうね。この記事は、決してでたらめなでっち上げではないと思います。

そんなときは、親ではなく妻を選びなさい、介護が必要になったら施設も検討しなさい、施設に入れるのも親孝行、と同誌は書いています。

「親孝行」なあなたは、そんな趣旨にご不満かもしれませんね。

でもそれは、しょせん苦労知らずの恵まれている人ではないでしょうか。

実際に「捨てる」かどうかはともかくとして、高齢者の面倒はなにがしかの苦痛を感じて当然だと思います。

問題は、たとえば妻、たとえば義理の姉や妹さんなどが、あなたの硬直した「美徳」のあおりでその苦痛を感じているかもしれないんだよ、ということを同誌は述べているのです。

まだ親が健在で、ある程度の年齢の方なら、胸に手を当てて考える必要のある記事です。

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「ねばならない」は人を不幸にする


私はこのことに限らず、「ねばならない」と問答無用に決めつける「美徳」については、すべて疑問をもっています。たとえば……

親孝行しなければならない
親に逆らってはならない
仏の供養をしなければならない(すればいいことがあり、しなければ不幸になる)
目上の人に意見してはならない
礼儀正しく腰を低くしなければならない
物事はポジティブに考えなければならない


さらにいえば、異論はあるかもしれませんが

夫婦は生涯添い遂げなければならない

なんていうのもインチキ臭い「美徳」だと思っています。

添い遂げてはいけない、ということではないですよ。

添い遂げるのは当事者の気持ちによるものであり、問答無用でそうさせるべきではないという意味です。

これらは、社会の既得を守りたい人が、現状に対する疑問や否定の思考や行動に向かうことを押さえつけ思考停止にさせる韜晦趣味的な方便だと思います。

ですから、こんなもの、額面通り守る必要はないですからね。

自分の人生が大事だし、できないことで自分を責める必要も全くないと思います。

そして、旧弊なものは旧弊であると、断固否定できる自由と勇気と見識がなければ人間も社会も発展しません。

たとえば、仏の供養。しないと不幸になるという科学的根拠はあるんでしょうか。

そういう「ねばならない」は、霊感商法の温床になっています。

もちろん、先祖がいたから自分がいる、というのは客観的な話です。

ただ、その事実をどう受け止めるかは個々の自由でいいと思うのです。

なぜなら、それぞれ現実を生きる事情も心境もあるから。

別に供養したから偉い、しないから地獄へ落ちる、というものではないでしょう。

これは先祖だけでなく、実在する親子の関係も同じだと思うのです。

世の親子関係は、ありようも当事者の考え方も様々です。

たとえば、憎んで当然と思われるような“ひどい親とかわいそうな子供”の関係もあるでしょう。

極端な例としては、子供を殺傷する親だっています。

ですから、一律に「親のために尽くせ」という「美徳」で無理やりくくるのは非合理だし、「親は絶対の存在」という考えから1ミリも脱却できない硬直した思考も、(そうしたい人は否定しませんが)普遍的な美しいものとも思いません。

同誌に書かれているように、親を捨てざるを得ない事情がある人は、前向きに「捨てる」ことを検討してもいいと思うし、何よりも、周囲が旧弊な「美徳」による偏見や先入観にとらわれず相談に乗れるような柔軟な理性に満ちた社会であってほしいと思います。

週刊現代 2014年 3/22号 [雑誌]

週刊現代 2014年 3/22号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/03/10
  • メディア: 雑誌


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