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『ソーシャルメディアで伝わる文章術』の「気配り」をどう見るか [パソコン・ネット]

『ソーシャルメディアで伝わる文章術』(前田めぐる著、秀和システム)という書籍を読みました。主にFacebookにおける投稿の仕方や内容について、指南されています。どうすれば「いいね!」や友達が増えるのか、巷間いろいろな書物が出ていますが、同書は文章の表現を中心にそのノウハウをわかりやすく説明しています。



まず、結論から述べると、『ソーシャルメディアで伝わる文章術』は、“現状追認厚化粧コミュニケーション”のノウハウです。

いきなり辛辣な書き方ですが、これは同書をおちょくっているのではありません。

現在のソーシャルメディアが全体として、ときとして歯の浮くようなお世辞と見栄の厚化粧コミュニケーションのそしりは免れない、という私の見解です。

そう思いませんか。フィードに流れてくる投稿にはお義理で「いいね!」をつけ、ネガティブなコメントはまず入らない。

みなさんは、そんなFacebookのルーティンに疑問を感じたことはありませんか。私はあるのでそれをしていません。

同書はそういうソーシャルメディアの質や思想の論評ではなく、そういう「掟」を前提として「いいね!」がたくさん欲しい人、周囲によく思われるような文章の書き方を身につけたい人などに指南しているのです。

先日も、「いいね!」を業者がヤラセで増やす事件が取り沙汰されていましたが、私は本当に価値のある投稿は、検索エンジンにインデックスされないFacebookではなく、サイト(ブログ)にしっかり残すものだと思っています。

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少なくとも、友達同士の「いいね!」の付け合いは、投稿の価値として額面通り受け取るべきではないと思っています。

ただ、ブログにはソーシャルボタンをつけるのが今や常識となり、外部からの評価も入る以上、それを頭から否定することもできません。そこで、その「ノウハウ」を知ろうという気持ちで同書を読んでみました。

敬語の使い方も詳しく解説


のっけから厳しい書き方でしたが、同書の文章の表現の仕方自体は参考になります。

読みながら付箋を付けた見出しや文章を順番に書いていくと、

自分のキャラクターで言葉を選ぶ
修飾語ではなく比喩を使う
一記事一趣旨
文脈は人脈、愚痴より「褒め」を
あまりにも知っているつもりになっている(自分を疑え)
自分の情報ばかり流していると他人に興味を示さない人に見られるからFacebookは1日1投稿にしろ
内容だけでなくタイミングや行動も印象を左右する


その他、シズル感(五感を刺激するような表現)やオノマトペ(擬声語)の使い方、さらに著者は敬語の使い方についてサイトを開設しているので、どういうときどんな敬語を使うべきかなど「得意分野」についての解説もあります。

ステマについて、書く人だけでなく読む人の責任にもきちんと言及しています。
時々、レビューやブログで「やらせ」が起きて問題になりますね。その背景には、カリスマレビューアーのレビューや、芸能人のブログを読んで、無条件に信じてしまう人がいるという事実があります。そう考えれば、ソーシャルメディアでは他人に対する責任だけでなく、自分に対しても責任が生じると考えるほうがいいでしょう。
「身体にいい情報と思ってシェアしたのに。何てことをしてくれるんだ!」
「いい買物サイトだと思って友達にも教えたのに、もう○○なんて信じるものか」
と、間違いを犯した人や企業を切り捨てるのは簡単なことですが、それではソーシャルメディアを使う意味がありません。「責任と寛容」。両方を意識したいものです。
さらに、批判と悪口はきちんと区別し、提案型の批判を認めているのも共鳴できる点です。

お行儀が悪くても許容できるのがネットではないのか


ただやはり、ソーシャルメディアに対する価値観が、著者とは根本的に違うなあと思うことはあります。

同書は、「ソーシャルメディアにおけるコミュニケーションのポイントは気配り」と書いてありますが、私はこの言葉にすんなり同意できません。著者に同意できないというより、そうなっている今のソーシャルメディア自体が気に入らない、といったほうがいいかもしれません。

もちろん、コミュニケーションは相手の尊重が大原則です。公序良俗に反する、たとえば個人情報を勝手に明かしたり、侮辱する言葉を発信したりすることも論外です。

しかし、リアルな日常のような「気配り」までを求めてしまったら、それはリアルな付き合いだけで十分だろう、ネットの独自性がなくなるじゃないか、と思うのです。

だいいちそれでは、リアル社会で如才なく振る舞える人間しかネットコミュニケーションの可能性がないことになってしまいますし、その哲学では、ネット社会はたんなるリアル社会の追認の役割りしか果たせません。

私は、ネットにはネットのやり方、それこそリアル社会の現状をかえる突破口にもなり得るためにも、リアルが否定することを受け入れるような寛容さがあってもいいだろうと思っています。

例を挙げると、Facebookで私の高校時代の同級生が、事前メッセージなしに友だち申請するのは失礼だ、リアルな付き合いなら挨拶をするだろう、ネットだった同じだと怒っていましたが、私はこの主張は同意していません。

リアルな付き合いでは、非常識なことを好んでする人間でなくても、タイミングやその他の事情で、たとえば会っても挨拶ができないことがありますよね。

挨拶したらなにか気の利いたことを言わなければならないのか、とか色々考えると挨拶自体できなくなるとか。とくに内気な人、そういうことありませんか?

良し悪しは別として、人には苦手なことがあるのです。

ネットにしても、意識過剰になって相手に「最初の一言」を発信するのが苦手な人っているでしょう?

私は、そういう人に対しては「非常識だ」と居丈高に叱り飛ばして門戸を閉ざすのではなく、逆に寛容でありたいと思っています。いきなり友達申請、どんと来い!です。

友達を承認した後で、やっぱり非常識だった、こいつとはどうしてもやっていけない、と思ったら友達を解除すればいいでしょう。そのときになってから解除しても間に合います。別に命まではとられません。

もっとも、非常識と分かっても、私は多分、その人と「友達」を解除しないでしょうけど。

むしろ、非常識なら、どうしてこの人は非常識なんだろう、この非常識さでものを見ると諸問題でどんな判断をするのだろう、という興味すら私は湧いてくるからです。

リアルに付き合ったら振り回されるかもしれないけど、ネットなら投稿を読むだけだから負担もありません。

へんに「気配り」したインチキなお世辞と見栄の厚化粧コミュニケーションなんかよりも、私はそういう人との緊張感ある、だけど正直な関係のほうが楽しいと思います。

ですから、この『ソーシャルメディアで伝わる文章術』に書かれている文章の書き方は参考にしつつも、私はたんなる現状追認ではないネットコミュニケーションへの接近をしたいと思っています。

ソーシャルメディアで伝わる文章術

ソーシャルメディアで伝わる文章術

  • 作者: 前田 めぐる
  • 出版社/メーカー: 秀和システム
  • 発売日: 2013/03
  • メディア: 単行本


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