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『アンネの日記』事件、飛松五男VS大槻義彦、どちらが科学的か [社会]

『アンネの日記』関連ページが東京の公立図書館で相次いで破られている問題について、いろいろな人が意見を述べていますが、その中でも対照的なのが、元刑事の飛松五男氏と「元」物理学者の大槻義彦氏です。2人の推理を比較することで、論理的(科学的)であることがいかに大切かを、「元」科学者自らがアンチテーゼになって教えてくれています。

元刑事の飛松五男氏といえば、テレビでは自ら事件現場に赴くコメンテーターとしておなじみです。2005年に定年退職する頃からメディアに登場。

大阪・西成の女医不審死事件(2009年)は、警察の初動ミスで自殺扱いだったのを、遺族の依頼を受けて何度も現場に足を運んで矛盾点を積み上げ、他殺捜査に切り替えさせました。

加西女教師殺人死体遺棄事件(2010年)や秋田児童連続殺人事件なども、直接容疑者やその家族に接触して実証的に事件に迫っています。

その飛松五男氏は、『日刊ゲンダイ』(2月27日付)で、今回をこう推理しています。
日刊ゲンダイ・アンネの日記.png
「被害に遭った書籍は日記だけでなく、絵本、評伝、研究書など多岐にわたり、タイトルに『アンネ』の文字がない本もあります。こうした本を探し出し、300冊以上破損した犯人は執着心が強く、知的レベルが高いとみていい。私は、貧困にあえぐ若い女性研究者の仕業じゃないかとみています。『アンネの日記』では、潜伏生活の中でも恋愛し、前向きに生きる場面が描かれている。しかし、例えば、今の大学講師は安月給で研究に追われ、結婚はおろか、恋愛を楽しむ余裕さえないケースが多い。アンネに嫉妬し、逆恨みした女性の犯行という線が捨て切れないのです」
一方、宜保愛子氏や織田無道氏やその他オカルトタレントと対決することでメディアに登場してきた大槻義彦氏は、いかにも科学的な立場の代表のように見えていたかもしれませんが、疑似科学問題に関わる人の中にいる心ある人は、と学会をはじめ、実は大槻義彦氏の「何もわかっちゃいない」軽率な言動には批判的でした。

そして今回。大槻義彦氏は何と言っているのか。

「当然のことながらヒットラー崇拝者、つまり右翼ファッシスト以外にはありえない」「改めて日本の新右翼ファッシストが、ナチズムとつながっている、と確信する」などとブログにコメントしています。

ネットでは、この大槻義彦発言に非難が集まりました。

ネトウヨの「声が大きい」からだけではないでしょう。

みだりに「ありえない」だの「確信」だのと断じる大槻義彦氏が火をつけているのです。

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推理を実証で裏付け客観性、再現性に肉薄する科学の立場とは相容れない、科学者のツラヨゴシのような無責任な発言は、ネトウヨでなくても眉をひそめて当然です。

中国出身の評論家である石平氏が「自分の偏見だけで人に罪を押し付ける彼の手口は、まさにナチスドイツそのままだ。そう、この人と彼の同類こそ、ナチリスト的な人間なのである」とツイッターで異議を唱えているのももっともです。

>>大槻義彦氏、アンネの日記問題新右翼ファッシストと決めつけるが根拠がない

思えば、これは大槻義彦氏の20年来のやり方でした。

宜保愛子氏との「対決」では、「いつも胸ポケットに辞表を入れている」と啖呵を切り、メディアのセンセーショナリズムをくすぐり、宜保愛子氏を挑発。

江原啓之氏との「対決」では、自分は江原氏に厳しい追求をするから干されただの、江原氏を取り上げたことを訴訟してマスコミを謝らせるだの、およそ知識人のものとは言いがたい放言に明け暮れました。

さらに、東日本大震災の時には、「政府は何も隠していないと思う。国民は無知だからこれぐらいの放射能で騒ぎすぎ。私が東北の野菜を全部食べてやる」と今度は国民を挑発。

ところが、政府の隠し事が後からバレて、自分の発言が間違いだったと明らかになったのに、何もフォローしていません。

宜保愛子氏の頃はともかく、東日本大震災における発言は、明らかに大槻式炎上商法の限界、というか弊害を露呈していました。

もちろん、飛松五男氏も仮説の段階ですし、大槻義彦氏の推理が結論の部分で当たる可能性もあります。

しかし、ここで問題にしたいのは、結果ではなく、その推理方法です。

デカルトの『方法序説』のように、事件を局面ごとに細かく分析。そして小さな特徴を積み上げて推理する飛松五男氏と、大雑把なレッテルで断じる大槻義彦氏の際立った差は、何も飛松五男氏が本職の刑事だったから、というだけではありません。

現場で実証的にものを見ることをしない、(たとえ加害者であっても)ヒトの立場により添えないでモノをいうことの愚かさがよくあらわれていると思うのです。

科学とは、相対的真理の長い系列にあるものです。既知の認識を絶対的なものとして振りかざして断言することから新しい真実に肉薄することはできません。未知のことは謙虚にスタートすべきです。

まじめに疑似科学・オカルトを批判する人の中には、いまだに大槻義彦氏に幻想を抱いている人もいるようですが、科学的立場に立つのなら、否は否としてきちんと受け止めていただきたいものです。

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