詐欺事件が情報化社会の今日もあとをたちません。今週号の『週刊実話』(3月6日号)には「偽者・ペテン師糾弾FILE」という写真記事が出ています。もちろん、そのきっかけは“偽ベートーベン事件”の佐村河内守氏。トップページに載せています。さすが、週刊誌は対応が早いですね。
トップページの下は、ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の追悼式で起こった“でたらめ手話通訳事件”が出ています。
外国はこの一件だけで、次の見開きには、比較的最近(80年代位以降)起こった国内の詐欺事件を蒸し返しています。
有栖川宮詐欺事件、ジー・オーグループ詐欺事件、投資ジャーナル詐欺事件……。近未来通信詐欺事件はついこの間だと思っていましたが、もう8年にもなるのですね。
首謀者は2億5000万円持って現在も国外を逃亡中。庶民にとってはケタ違いの金額ですが、逃亡して疲弊して、もう表には2度と出てこれない。何のための人生だったんでしょうか。
その中で、異色なのは「頭をもぎ取れ詐欺」事件。
いや、猟奇事件ではありません。「頭をもぎとれ」「最高ですか~?」と連呼していた教団の詐欺事件です。覚えていますか。ワイドショーでもずいぶんとりあげられました。
「頭」とは「物欲」や「ぼんのう」といった人間の欲求を指します。「現実」を「最高」と思えるように発想をかえろという教えです。
まさに昨日、このブログで書いた
ポジティブシンキング が教義となっているような教団でした。
なぜ異色と書いたかというと、一般に詐欺は、嘘の投資話やなりすましがほとんどで、宗教の教祖はアンタッチャブルなことが多いからです。
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ただ、この頃は、統一協会のマインドコントロールにようやっと司直のメスが入り、他の教団についても積極的に立件に向けての捜査が行われるようになっていました。
逮捕されたのは2000年5月9日。「法の華三法行」の前代表福永法源容疑者と教団幹部12人が、元信者らから修行代として多額の現金をだまし取ったという詐欺容疑でした。
その後、最高裁まで争われ、2008年8月に上告棄却の判決が下されて刑が確定しています。
私は26歳の頃、体を壊して暇だったのと、いいことがあるんなら藁を掴んでもいいよ、ぐらいのオープンな気持ちで(笑)この人の本を読んだことがあります。
内容は、人は10円持っていても100円持っていないことを嘆き、100円持っていても1000円持っている友人を妬む。どうして10円持っていることを喜べないか、どうして100円で暮らす発想がないのか、現実を「最高」と思えるように発想をかえろ、発想を変え、「頭でっかち」をやめれば、病気も不幸も消えていくと畳みかけるように問いかけてくるのです。
どの本もエピソードをかえながらその繰り返しでした。
おそらくプロのライターが書いているとは思いますが、スラスラ読ませながらポイントを繰り返し強調して刷り込む著作の構成は、「思い当たるフシ」のある読者はついつい引き込まれてしまうでしょう。
私ですか?
昨日書いたように、私は当時から
ポジティブシンキングの世界観に与しない人間だったので、心は動きませんでした。
もちろん、ないならないなりの生活は当然です。でも、こういうお説教は、戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」と同じで、満たされることを求める気持ちに対する目眩まし、つまり為政者を助け、国民を思考停止にする感じがしました。
人が嘆いたり嫉妬したりするのは、理由があるからです。その理由を考えないと解決にはならないですよね。
なのに、アタマをもぎ取ってどうすんだっていう話ですよ。
言葉をかえれば、現実を合理的に直視するのはよしなさい、という「教え」ですからね。
個々人の「心がけ」によって変わることも確かにあります。しかし、私たち人間は生物的存在であり社会的存在です。社会矛盾やその人のおかれている立場や状態が客観的に変わらなければ、解決しないことの方が大部分なのです。
なんか昨日の続きのような話になってしまいましたが、社会が閉塞した状態にあると、こういう現状否定というより逃避のような価値観がもてはやされるのかもしれません。
今やパソコンやスマホなど子供でも情報端末を扱い、知りたいことが簡単にわかる時代なのに、それでも人をだます事件はあとをたちません。
情報は量も大切ですが、それを読み解く力こそ求められる、ということでしょう。「欲得」はもちろん「思い込み」も詐欺事件の餌食になるもとなのです。
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