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ポジティブシンキングと前向きシンキングの違い [生活]

ポジティブシンキングという思考がもてはやされています。どんな逆境にぶつかっても、いつも前を向いて行動する心の持ちようだそうです。前を向く生き方に異論はありませんが、だからこそ私は、ポジティブシンキングでそれが実現するのか疑問に思います。そんな私が標榜するのは「前向きシンキング」。同じように聞こえますか。でもちょっと違うのです。

私はこのブログで昨年9月10日に、「電車の中で、あなたはどんな顔をしていますか?」というタイトルの記事を書きました。

内容を要約すると、Facebookにおいて、高校の時同級生だった男が、「電車の中のオヤジどもはみんな仏頂面だ、もっとにこやかにしろ」と怒っている顔の絵文字付きで説教していたので、人それぞれに事情も心境もあるのだから好きにさせろと反論コメントを書き込んだという話です。

私は、観念的な「ねばならない」を振り回す、さかしらなお説教が生理的に苦手なので、いちいちそんなものにコメントしても仕方ないと思いつつも、つい書いてしまいました。

おそらくは、その同級生の標榜するのが、ポジティブシンキングです。

嘘でもにこやかにしていれば運気が上向く、というやつですね。

でもその説に科学的根拠はないし、無理ににこやかにふるまうストレスのマイナスも考慮されていないので、決して普遍的でも合理的でもない話だと私は思います。

ただ、ポジティブシンキングを勧める人は多いですね。自己啓発セミナー、宗教家、まあ似たようなものですが、起業家の講演でもそんな話はよく出てきます。

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ポジティブシンキングは万能ではない


では、ポジティブシンキングというのは定義するとどういうことなのでしょうか。

「ポジティブシンキング」という言葉で検索をして、1番上に表示されるポジティブシンキングな人に共通する10のコトというページによると、「ポジティブシンキング」とは、次のように枚挙されています。

逆境を喜ぶ
与えて、与えて、与える
他人の力を借りれば不可能は無くなる
リスクを取る
自分の望みを相手にしてあげる
思い込みで行動しない
メンターを活用する
考える時間を設ける
相手の付加価値を見出す
前向きな姿勢で物事に取り組む時

なのだそうです。

みなさんは、これを聞いてどう思いますか。

私の感想ですが、ハッキリ言って、現実的でもないし合理的でもないですよね。

「他人の力を借りれば不可能は無くなる」って……。そんなわけないでしょう(笑)

それに、「思い込みで行動しない」という一項が入っているのは自家撞着です。

ポジティブシンキング自体が、「心の持ちよう」なのですから、思い込みで成立しているものにほかならないじゃないですか。

こういうのを、哲学の世界では主観的観念論といいます。

つまり、教祖という客観的な存在や特定の世界観はないけれども、宗教的に心の拠り所としていることです。

といっても、ポジティブシンキングを否定しているわけではないですよ。

明るくにこやかにすることが悪いというつもりもありません。

ハッピーになれるならそれでいいでしょう。

でもたぶん、問題解決には限界があると思います。

人間には、心がけだけではどうにもならないことがあるからです。

つまり、ポジティブシンキングは万能ではない!ということです。

とくに私などは、唯物論者といいますか、客観的に実在する事物なり感情なり論理(科学等)なりを拠り所に思考や判断をきちんと展開しないと気がすまないタチなので、この手の「喜ばなければならない」論を自分に言い聞かせ、自分に暗示をかけるような真似は苦手です。

私にとってポジティブシンキングは、むしろストレスを貯めて自分を不幸にします。

では、ポジティブシンキングが通用しない時、もしくは私のように通用しない人にはどうしたらいいのか。

私が心に抱いているのは「ポジティブシンキング」ではなく「前向きシンキング」です。

あ、私がそう名づけているだけなのですが。

「ポジティブ」と「前向き」。同じだろうって?

いえ、180度違います。

強いていうなら、観念論ではなく、唯物論者としてのポジティブシンキングといえるかもしれません。

前向きシンキングとはなにか


たとえば、私は、「ボジティブシンキング」志向の人と違い、逆境を喜びません。これはチャンスなんだ、などと自分に無理に暗示はかけません。

なぜなら、それは結局、逆境である現実と向きあうことから逃げているからです。

現実は現実として受け止めるしかないのです。

でも私は、強い人間でも聡明でもないから、逆境と向かい合えば野村克也さんではないけれどボヤきます。悩みます。精神的に追い詰められると判断を誤り迷走するかもしれません。それは仕方ないことなのです。

「ボジティブシンキング」に倣えば、悲しい時でも楽しいことを考え、もしくは楽しくなる可能性を期待しなければなりません。冒頭の話で行いえば、電車の中ではニコニコしなければならないのです。

しかし、「前向きシンキング」はその立場を取りません。私は、面白くなければ素直にぶすくれます。

悲しい時は悲しめばいいのです。悲しいのに無理に笑ってもその逆境は何も解決しません。

悲しい時に悲しみの感情をあらわすからこそ、自分がなぜ、どのくらい悲しいのかを認識できるのです。悲しいことを解決し2度と経験したくないと身にしみるのです。それが、では次にどうすれば悲しくならないようにするかを考える契機ともなるのです。

現実にぶち当たったら、そうやって素直に受け止め、悩み、苦しみ、でも最後には、生きてる限り前に進まなければならないことに観念し、腹をくくります。

この心境こそが大切なのです。本当に骨の髄まで自分を納得させるものになるのです。その時に出る答えこそが最強なのです。

姿三四郎の歌ではありませんが、「悔しかったら、泣け。泣いてもいいから前を見よ」です。

こういう苦しみを避けて、「いや、いいことなんだ。現実を喜ぼう、感謝しよう」などと自分をテキトーになぐさめて通りすぎようとする「ポジティブ」な人間は、逆境によって何も身につけることができず、そればかりか痛みから逃げているから、また同じ逆境を繰り返すかもしれません。

事実を知るから、それに噛み合う合理的な解決を導き出せるのです。

客観的実在に素直に従わず、観念だけ「いいことなんだ」と言い聞かせても仕方ありません。

「ポジティブシンキング」と「前向きシンキング」の違い、おわかりいただけましたか。

「前向きシンキング」は、「ポジティブシンキング」のように、感情の選択肢をコントールして暗示で明日の活力を生み出す立場ではないということです。

現実はリアルに受け止めて、自力で腹をくくり明日に進む世界観です。

後先になりましたが、なぜこんなことを書く気になったか。

林葉直子さんが「長くないかも」とブログに発表していることを知ったからです。

ポジティブシンキングなんぞで、なんとかなると思いますか。終末医療なんて言葉まで出てきている段階で、どうポジティブに考えるのですか。

世の中には、なぐさめようのない経験があるのです。

林葉さんが本当に長くないかどうかは、ブログに、医療従事者の正式な所見が書かれているわけでもなく、また掲示板にも異なる見解も書かれているのでわかりません。

ただ、林葉さんが健康を害したおおもとの理由に、恵まれない家庭や将棋界を指摘する声もありました。

そういうことは、ポジティブシンキングではどうにもならないでしょう。

もちろん、ほしのもとが人生の全てではありません。

ただ、それに負けるのも、そこから活路を見出すのも、まずは自分の置かれた立場を客観的に知ることからしかないだろうと私は思います。

さて、前向きのつもりで頑張っているのに、なにかしっくりこないと感じている人。

それは、ボジティブシンキングが、あなたの価値観や人生に合わないのかもしれません。

あなたのこれまでの不遇は、ほしのもとやその他、もっと客観的なところにあり、べつにポジティブシンキングができなかったからではないと思います。

だからそんなに無理せず、1度ポジティブシンキングのとらわれをはずしてみたらいかがでしょうか。

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