あべ静江といえば、東海ラジオのDJ出身という異色の経歴でデビューした70年代のアイドル。その彼女が、『日刊ゲンダイ』(2014年1月27日付)の「私の秘蔵写真」というお宝写真公開の記事で、昔を振り返っています。
記事の内容は、当時DJ出身としてデビューしたことになっていたが、実は彼女の母親がラジオ三重(現東海ラジオ)の専属歌手だったので、その時のスタッフが制作した東海テレビのドラマで、彼女が子役に駆り出されてデビューしていた。つまり彼女は芸歴の長さを“詐称”していたという話です。
タイトルの秘蔵写真というのは、その時の一葉です。
あべ静江といえはデビューした73年、『コーヒーショップで』で日本レコード大賞新人賞を受賞。この年は彼女のほか、アグネス・チャン、浅田美代子、安西マリア、桜田淳子らが受賞しており、「あ」の当たり年といわれました。ちなみに、前年新人賞でその年は大衆賞だったのは、やはり「あ」の麻丘めぐみでした。
彼女は歌以外にドラマや映画の実績も豊富で、若い人をターゲットにしたドラマのヒロインを数多くつとめました。
そのひとつが、『青春ド真中!』(1978年、ユニオン映画、日本テレビ)です。
中村雅俊主演の青春学園ドラマで、ヒロインの女性教師役でした。
ワンクールの雨傘番組でしたが、出演者やロケ地などが重なる『ゆうひが丘の総理大臣』よりもこの作品のほうが好きだ、という人が結構いますね。
これは私の勝手な意見ですが、あべ静江さんが一番輝いて綺麗に見えたころじゃないかと思います。
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日本テレビ青春学園ドラマ女生徒ならこの人!
ところで、女性教師というと、この作品ではもう一人いました。しかも、あべ静江さんとはデビューの仕方も似ている人が……。
掘込ドキ子という役名、というより“ゲシュタポ”というアダ名で呼ばれていた教務主任役の水沢有美さんです。
『飛び出せ!青春』の桐山悦子先生(教育実習生)、『パパと呼ばないで』の田宮先生、『俺たちの旅』の奈美ちゃん……、いくつもの作品がすぐに思い浮かびます。
水沢有美さんのお父さんは劇作家で、美空ひばりの『リンゴ追分』の作詞で知られる小沢不二夫さん。水沢有美さんが女優として脚光を浴びたのは小沢不二夫さん作の舞台でした。
そして、先日記事で書いた豊浦美子さんらとともに東宝東宝ニュータレント第5期生に。
>>ひし美ゆり子と豊浦美子、『ウルトラセブン』と『怪盗ジバコ』
>>水沢有美といえば日本テレビ青春ドラマのヒロイン
日本テレビの青春学園ドラマ第一弾である『青春とはなんだ』(1965年)の生徒役は、16歳の岡田可愛さんが最年少でしたが、途中からレギュラー入りした水沢有美さんは13歳。シリーズレギュラー最年少記録です。
その後も『これが青春だ』(1966年)『でっかい青春』(1967年)『進め!青春』(1968年)と4作連続で生徒役で出演。
そして、『飛び出せ!青春』(1972年)で教育実習生として、青い三角定規とともにゲスト出演したことで、岡田可愛さんを抜いて、青春学園ドラマ最多作品出演タイ記録となりました。
ちなみに、「タイ」のもう一人は片桐くんこと剛たつひとさんなんですけどね。
以前、子役出身が芸能界で活躍し続けるのはむずかしいという記事を書きましたが、
>>子役はどうして大成しないのか
あべ静江さんも水沢有美さんも、今もご活躍なので、当時の視聴者としては嬉しい限りです。
昨日、ツイッターの私へのリプライを見ていたら、水沢有美さんから入っていたのでびっくり。いつぞやの
カニエくんこと大村波彦さんなりすまし事件とは違い、今度はご本人……だと思います。
私が、別のブログで“ゲシュタポ”を思い出す記事を書いたので、それにコメントを入れてくださったのです。
ツイッターでは、レビューした書籍の著者や映画の出演者といった方々から、たまにそういう嬉しいことがあります。
Twitterも、最近は一部の人がつまらない使い方をして社会問題になっていますが、せっかくいろいろな人とメッセージを交わせる場です。もっと大切に、有意義に使ってほしいと思います。
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