大映という、ひと頃日本でいちばん大きく伝統もあるとされた映画会社の登記上消滅が発表されたのは、今から10年前のきょう、2004年1月29日です。角川大映映画の角川歴彦会長が、同社と角川ホールディングスの別の子会社などを合併した角川映画を発足させると、日本映画製作者連盟(映連)の新年記者発表で発表したのです。
角川映画という会社自体、その後10年の間にまた紆余曲折あるのですが、とにかく日本映画の象徴ともいうべき大映の歴史は2004年で終わったことになります。
より厳密に述べると、往年の大映映画を作っていた会社は1942年に設立され、1971年でいったん倒産しています。
その後、1974年に徳間書店の子会社として大映映画株式会社ができましたが、73年に角川映画に営業資産を譲渡。角川は社名に「大映」を入れますが、74年に登記した会社はここで消えます。そして翌年、冒頭に書いたように角川映画が再編され大映は社名からも消えました。
要するに新会社は、大映の営業資産の権利を持っているだけで、大映映画のブランド利用には区切りをつけたわけです。
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いったん倒産して社名を復活させたが……
大映といえば、松竹、東宝、東映などと並ぶ大手映画制作・配給会社でした。
いったん潰れた頃はなんとなく覚えています。
大映(大映テレビ室)製作だった「テレビ映画」の『ザ・ガードマン』や『奥様は18歳』の製作著作クレジットは、倒産前に分社化された大映テレビ株式会社のクレジットにさりげなく変わり放送は継続されました。
大映の専属の多くの俳優は、引き続き大映テレビ所属になったと思いますが、終生そこに所属していたのは船越英二ぐらいではなかったかと思います。
永田雅一オーナーが、球団経営をロッテに譲ったり、オーナーが所持していた東京球場を処分したりしたのはこの頃です。
オーナーが所持というのがすごいですよね。
この頃は、ワンマンな映画会社のオーナーが球団を牛耳る時代でした。
たとえば、明治大学野球部出身の八名信夫が、東映フライヤーズから、東映オーナー・大川博氏の鶴の一声で東映大部屋に「人事異動」するなんてこともあったわけです。
今、12球団でオーナー所有は、松田家の広島東洋カープぐらいでしょう。
それはともかく、『日刊ゲンダイ』で連載していた、元プロ野球公式記録員・河野祥一郎氏の連載「公式記録員だけが知っている」の最終回(1月27日付)では、セ・リーグ鈴木竜二会長と大映・永田雅一オーナーとによって、東京スタジアムを買収する密談が71年オフに行われたことが書かれています。
それによると、セ・リーグで球場を買い取り、イースタン・リーグの常設球場にする計画があったとか。
しかし、結局話はまとまらず、永田雅一氏は球場を処分したため、72年限りでロッテは主催球場を失い、新宿に球団事務所をおいたまま(つまり東京をフランチャイズとするチームのまま)暫定的に宮城県営球場(今の楽天の本拠地)で主催ゲームの6割を消化することになりました。
イースタン・リーグは各球団が2軍用の球場を持つまでその後20年近く、河川敷球場で公式戦が開催されています。
学生時代、多摩川河川敷のイースタン公式戦には、スコアブックを持ってよく観戦に行きました。
74年の会社は新会社でしたが、「大映」を社名にして、倉本聰原案の日本テレビ帯ドラマ『再会ーふるさとさむく』を制作しています。中村玉緒と睦五郎が主演です。中村玉緒が「大映復活作品に出られて嬉しい」というような話を新聞のインタビューでしていたのを覚えています。
時代は変わった
復活大映は、『金環蝕』、平成「ガメラ」シリーズ、『Shall we ダンス?』などを公開。2002年に角川春樹が徳間から資産を譲り受けています。
『金環蝕』や『Shall we ダンス?』は見ました。『金環蝕』はちょっとむずかしかったかな。
かつて、東映出身の俳優、山城新伍さんは、自ら司会を務めるテレビ『新伍のお待ちどおさま』(TBS)という番組でこう言っていました。
「映画会社が作って封切るのが昔の映画。今は、お金持ちがお金を出して映画を作り、映画会社は系列映画館で上映するだけ」
すでに、現在の映画界は、以前のように各社が独自の社風を感じさせる作品を各地の映画館でのんびりとコンスタントに上映する時代ではなく、「テレビに奪われた失地を回復しようとして、大きなスクリーンいっぱいに大スペクタクルを詰め込み、巨額を投じて力尽くで観客を動員」(『アサヒ芸能』1月16日号で萩本欽一)するイベントになってしまいました。
現在も、大作といわれるものは100億単位の興収がありますが、ではそれをもって、かつてのような「映画復権」なのかといえば、誰もそうは言いません。
そこにこそ、山城新伍さんの嘆きの本質があったのでしょう。
しかし、過去に作った大映の名作が消えるわけではありません。
そうした時代の移ろいを受け止めつつも、映画の古き良き時代のリーディングカンパニーであったことは忘れずにいたいと思います。
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