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浅田真央VSキム・ヨナ、その意味を考える [スポーツ]

浅田真央VSキム・ヨナ。マスコミも熱いですね。『アサヒ芸能』の今週号(2014年1月23日号)には「キム・ヨナ怪しい高得点・裏カラクリ」なる記事があります。一方、『実話BUNKAタブー』(2014年3月号)は「多分キム・ヨナに惨敗でしょ?」という記事を書いています。全く正反対の記事ですが、あなたはどちらの立場ですか。

浅田真央VSキム・ヨナは、我が国の大衆にとって切歯扼腕ともいえる対決らしいですね。

ネットを検索すると、近年の嫌韓的感情も入り混じった「浅田のほうが上」の大合唱がぞろぞろ出てきます。

しかし、『実話BUNKAタブー』(2014年3月号)では、それとは正反対に「多分キム・ヨナに惨敗でしょ?」という記事があります。引用しましょう。

多分、キム・ヨナに惨敗でしょ.png

「どんなに言い訳をしたところで、所詮フィギアはスポーツなどではなく、美しさを競う見世物に過ぎません。そう考えると浅田真央がキム・ヨナに勝てないことは火を見るよりも明らか。最近は反韓が多いとはいえ、嘘のつけないのが日本人。ルックスで浅田がキム・ヨナに勝てるとは誰も思っていません」

ここまで思い切った記事は初めて見ました。

こういう意見に対しては、おそらくは「反日」だの「韓国は整形」だのと気色ばむネットピープルが出てくると思うのですが、そうじゃないんですよ。

同誌は同じ号で、「韓国戦後のアホ歴史」という韓国たたき記事を書くなど韓国イジリが大好きな雑誌で、ネットピープルが唾棄する「反日」雑誌ではありません。

相手が為政者だろうがマスコミだろうが企業だろうがネトウヨだろうが大衆だろうが韓国だろうが、誰に対しても何に対しても、間違っていることやおかしいこと、言いにくいことをやや扇情的に書いているだけです。

いずれにしても、この記事は決して、「浅田真央とキム・ヨナはどちらが美しいか」という話が本質ではありません。

同誌が何をいいたいか。

韓国人がキム・ヨナに肩入れすることと、日本人が浅田真央に肩入れすることに実は本質的な違いはないだろう、という話です。

なぜなら、いずれも客観的な比較によって肩入れしているわけではないから。

たとえば、公正なフィギュア審判は10%しかいないなんて嘆くブログ記事も見たことがあります。

審判が買収されるようなことはあってはならないことですが、では買収さえなければフィギアスケートの値打ちに客観的な数字が出せるのでしょうか。

「公正」っていったいなんですか。

陸上競技において何秒で走るというのは客観的で「公正」な数字が出ますが、演技評価なんてしょせん結論は審判の判断です。

神じゃあるまいし、人間の主観に真に「公正」などあり得ると本気で思ってますか。

「公正」でないことがけしからんというのなら、フィギアスケートなんて見世物スポーツが、オリンピック競技として成立していることに無理がある、というのが同誌の指摘です。

とくに冬季五輪には、こうした客観的でない「競技」が多すぎるので、「ソチ五輪なんて『存在』がムダ」というのが同誌の記事の大きなタイトルです。

ソチ五輪・どれもこれも存在がムダ.png

私個人の意見としては、見世物スポーツが、客観的な競技よりも格落ちするという考えはありません。

ただ、同誌の言わんとするところもよくわかります。

結局、浅田真央VSキム・ヨナの論争って、ナショナリズムのフィルタをかけた“ジャイアント馬場VSアントニオ猪木の論争”であることは否定出来ないのです。

ですから、韓国人がキム・ヨナに肩入れすることそれ自体を「だから韓国人は……」という嫌韓の材料に使うネットピープルもいるのですが、私はそれは必ずしも当たらないと思います。

まあ、浅田真央の方が不遇だから腹が立つというなら、見なきゃいいんじゃない?と思うんですけどね。

フィギアスケートにかぎらず、演技評価というのはそういうものですから、そこで腹立ててもどうにもならないでしょう。

実話BUNKA (ブンカ) 超タブー 2014年 03月号

実話BUNKA (ブンカ) 超タブー 2014年 03月号

  • 作者: コアマガジン
  • 出版社/メーカー: コアマガジン
  • 発売日: 2014
  • メディア: 雑誌


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