SSブログ

テレビがつまらなくなった「制約」の中身 [社会]

テレビがどうしてつまらなくなったか。そんなニュースがライブドアニュースに出ていました。要約すると、いろいろ制約があって自由度がなくなったから「現場が窮屈になっていった」とあります。書かれていることはわからないでもないのですが、「制約」について私個人の意見はちょっとニュアンスが違います。

平成になってテレビがつまらなくなった、とよく言われます。

今週の『週刊ポスト』(12月20・27日号)のネット版『NEWSポストセブン』は、「つまらない」根拠として、「総世帯視聴率」(HUT)がゴールデンの時間帯において、1997年の71.2%から2013年の63.5%まで大きく下がった「テレビ離れ」を挙げています。

>>たけし番組 批判に晒されていた

記事では、「なぜつまらなくなった」のか、その理由について識者の談話などを使ってこう述べています。
元日本テレビアナウンサーで江戸川大学教授の小倉淳氏が語る。
「私が出演した『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』には、“上島竜兵はなぜ裸なのか”“なぜいじめられるのか”といった視聴者からの批判が殺到しました。予定調和を予定じゃなく見せられたとすれば、ある意味、成功だったといえると思います。でも、今はいくら現場がそういう試みをしようとしても、いろいろな制約から見せ方が難しくなっている」(中略)
「番組制作の自由度がなくなり、面白い番組が作れなくなっていく。すると視聴率が下がって、制作側は視聴者という強い味方を失い、ますます立場が弱くなる。その悪循環で、どんどん現場が窮屈になっていった」(制作関係者)
何をもって「面白い」か「つまらない」かは主観の問題と言ってしまえばそれまでですが、私も結論として「平成になってテレビがつまらなくなった」という意見には同意します。

フジテレビ.jpg

ただ、その理由、とりわけ「制約」の中身については、同誌の見解を「そうかなあ」と懐疑的に思います。

小倉淳氏らの話によれば、要するに番組が「制約」により、たとえばコンテンツとして「いじめ」が自由にできなくなってつまらないということらしいです。

う~ん、そうでしょうか。

だとしたら、今もなくならないヤラセ、出演者(とくに若手芸人)が“ガチ”で大怪我をしている拷問ショーなどの説明がつきません。

今はむしろ、仕込まれた「いじめ」以上にエスカレートしたことをやってるじゃないですか。にもかかわらず「つまらない」と「テレビ離れ」が進んでいるわけです。

そもそも、現在の「制約」の本質は、人権重視やコンプライアンス遵守といった時代の流れによるもの。結論から言えば「望ましいこと」なのです。

その「制約」はファンタジーを楽しむ上で「窮屈」さを感じないわけではありませんが、世の中が個人情報や喫煙マナーや人権配慮の表現などをきちんとしつつあるときに、「制約」がない方がいいといってそれらを無視した番組を作ったとして、現代人は笑わないでしょう。ネットで突っ込まれるだけです。

ですから、小倉淳氏がいうところの「制約」が「テレビ離れ」の理由とは私には考えにくい。

そうではなくて、テレビの世界が80年ごろを境に、パンドラの箱を開けたといいますか、「予定調和を予定じゃなく見せ」る手法をエスカレートさせてしまったことが原因だと思います。

それは最近、60年代のハナ肇とクレージーキャッツの映画を何度も見なおしているうちに私も気づいたことです。

>>詳細クリック

クレージー、ドリフ、たけし、そして……


よく、ハナ肇とクレージーキャッツ(東宝クレージー映画や『シャボン玉ホリデー』)の笑いは、おとなを相手にした笑いで、ザ・ドリフターズの笑いはシモネタや仕掛けを多用した(考えさせる笑いがまだ理解できない)子供にウケる笑いといわれました。

それをもって、クレージーファンの中には、現在でもドリフの笑いを全く認めない人もいるのですが、私はそれはやはり時代の流れだと思います。

ハナ肇とクレージーキャッツからザ・ドリフターズにテレビの笑いの主役が移っていった時代は、昭和40年代後半から50年代(1970年代~80年代)。

社会的には、高度経済成長からベトナム休戦などで景気が怪しくなり、オイルショック以降景気が低迷する時期です。

つまり、右肩上がりの希望がある時代から、今と同じで閉塞感いっぱいの暗い時期にうつっていった時期です。

そういうときは、ハナ肇とクレージーキャッツのおしゃれな大人の笑いではなく、シモネタや破壊的な仕掛けを多用した下品で直截で刺激的な笑いの方が受けたのです。

きっと、心が荒んでいるときは、人は刺激の強いものを欲しがるのでしょう。

しかし、ザ・ドリフターズは台本と猛稽古によって、作りこんだ笑いを提供していました。つまり、まだファンタジーと現実社会の垣根を壊すことはしませんでした。

それをぶちこわして、ハプニングと裏かきとより露骨なシモネタなど、それこそドリフ時代まで厳然としていた「制約」に踏み込んだのがビートたけしです。

そりゃ、新鮮で爆発的な面白さは感じるでしょうが、いったん「制約」をこわしてしまうと、その要求はエスカレートする一方です。

そのうち、全面的に「制約」はなくなり、えげつなさはエスカレートするものの、すぐに飽きられてしまうようになります。

売り出し芸人の賞味期限は以前よりも短くなりました。

その一方で、いったん大御所になってしまうと、それこそ賞味期限切れだろうがいつまでもそのポジションにいられるという一見矛盾した現象も生じていますが、それは、新しい人が育たないことも一因としてあるでしょう。

それもまた、テレビをつまらなくした原因です。

タモリの『笑っていいとも!』がいまさら終了を発表しましたが、草葉の陰で横澤彪氏が、「遅きに失してるよ」と嘆いているのではないでしょうか。

32年もひとつの番組が続くというのは、逆に言えば、32年間、テレビの世界に新しい文化が入れなかったということではないでしょうか。

時代の移ろいは不可逆的なものですから、昔はよかったと言っていても仕方ありません。

何を進化させ、何を否定すべきかをはっきりとさせて、その動きについていけないタレントは、どんな大御所だろうがご退場いただく、という英断を局もスポンサーも持たないと、なかなかテレビの再生はむずかしいのではないかと思います。

テレビは余命7年

テレビは余命7年

  • 作者: 指南役
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2011/09/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


nice!(336) 
共通テーマ:学問

nice! 336

Facebook コメント

Copyright © 戦後史の激動 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます