百田力のプロレスデビューが力道山の命日に話題になっています。明日、リキエンタープライズが主催する『力道山没50年追悼興行・プロレスの力』のリングに上がります。祖父は力道山。高校時代、レスリング部に在籍していたそうですが、31歳の遅咲きデビューとなります。
12月15日は力道山の命日です、とこのブログで書くのはもう3回目になります。
過去2回の力道山関係の記事
>>力道山の50回忌、弔い上げと法号と国籍
>>戦後史上のヒーロー、力道山の命日
ちなみに、これが三回忌で集まった日本プロレスのレスラー一同です。(『激動の昭和スポーツ史10』(ベースボール・マガジン社)より)
全員の名前がわかるプロレスファンはもういないかもしれませんね(クリックで拡大)
ボクシングの白井義男(元世界フライ級チャンピオン)とともに、戦後史上の先駆的スポーツ・格闘技ヒーローといえば、プロレスの力道山(元インターナショナルチャンピオン)。敗戦国民を元気付けたと戦後史書の多くには書きとめられています。
とはいっても昨年50回忌を済ませていて、もう宗教的には“ご先祖様”です。
今年は記事に書こうかどうしようか、もう2回も書いたからネタも尽きたし、なんて思っていましたが、今日は力道山のキーワードで閲覧者が増えていました。
えっ、いまさらどうして力道山?
と思いましたが、明日、力道山の孫がプロレスデビューするとYahoo!ニュースでとりあげられたんですね。
うーん、斜陽というより厳冬の時代のプロレスに、いくら元スーパースターの孫だからといって30歳過ぎてから飛び込むのもすごいですが、いまだに「力道山」「プロレス」がネットで注目キーワードになる、ということにはもっと驚きました。
まあ年末の日曜日、ということもあったんでしょうね。要するにニュースネタ枯れ。
デビューする「百田力」というのは、力道山の次男の百田光雄(プロレスラー)の一人息子です。
つまり力道山3世ですね。
確かにこの一族は、プロレスデビューは遅いです。
そもそも力道山が、元関脇で角界経由のプロレス入りなので公称29歳のプロレスデビュー。実際にはプラス5歳(つまり34歳)ぐらいではないかといわれています。
百田光雄の兄の故・百田義浩さんは、全日本プロレスの取締役兼リングアナウンサーとしてプロレス界に関わり、日本では34歳でデビューしています。
百田力の父親の百田光雄は、プロレス入り(日本プロレス)は早かったのですが、諸事情でパンフレットや選手名鑑に名前は出ていてもなかなか試合を組んでもらえず、実質的には1972年の全日本プロレス移籍がデビューといってもいいと思います。当時24歳。過去にスポーツ歴がないことを考えたらギリギリですね。
私は昔、百田義浩さんに頭ごなしに罵倒されたことがあります。
力道山の思い出を聞きたいと電話取材したのですが、直接訪ねて聞かないことが失礼であると、ありとあらゆる罵詈雑言を言われました(笑)
まあ、たしかにそうかもしれませんし、心情もわかるので腹は立ちませんでしたが。
当時、プロレス界はアントニオ猪木がマスコミを使って、できもしないジャイアント馬場戦をアピールしていた時期だったのです。
ジャイアント馬場が、アントニオ猪木のマスコミ戦略に利用されたくないからと無視していたら、アントニオ猪木はいい気になって「馬場は逃げた」と言い出して、そういう雰囲気がファンにも広がっていた時期だったんですが、馬場全日本は一言も弁解しないでずっと耐えてるわけです。
全日本の人たちとすれば、ジャイアント馬場でなくてもストレス溜まっていたと思います。
声のでかいやつ、口数の多いやつ、マスコミを上手に利用する奴がいつも評価され、弁解しないと不利になってしまう仕組みを、おかしいなあとその頃から思っていましたね。
だから今も、マスコミの報道に世論がまんまとハマッてしまうのはホント、歯噛みする思いです。
話を戻すと、百田力はデビュー後、どうなるのかなと思います。
現在、団体として年間に一定の興行を行っているところは限られていて、そこに所属しないとプロ(専業)としては経済的にむずかしいんじゃないかと思うのですが、新日本、全日本、ノア、いずれも上がりにくいかもしれません。大日本とかムリだろうし。
ですから、今日だけこのニュースがネットでキーワード急上昇だったとしても、今後起爆剤になってプロレス業界が活性化、という方向になるかというと、なかなかむずかしいような気がします。
ちなみに、現在のチャンピオン。プロレスファン以外でどれだけ知られているのでしょうか。
全日本プロレスは元横綱の曙がチャンピオンなのですが……。
百田力と曙の名勝負で、武道館とは言いませんが国技館をいっぱいにできるようになるといいですね。
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