来て!見て!感じて! 鎌田敏夫イズムリファレンス [懐かし映画・ドラマ]
来て!見て!感じて!、という書籍が今年の6月に海竜社からでました。脚本家の鎌田敏夫氏が、自身の作品を中心にドラマや小説のセリフをタイトルとして50選び、本文はその台詞を使った作品のエピソード、自らの拠って立つ作家としての考え方や狙いなどを綴ったエッセイです。日本経済新聞社で連載したもの25本に、新たに書籍用に書いたものが25本加わっています。
鎌田敏夫氏といえば、1980年代からは作家活動も行っていますが、やはり脚本家としての仕事が印象に残ります。
鎌田敏夫氏の真骨頂は、人間個人がもつ意識の表現を、「社会の論理」の上に置くということです。
つまり、通り一遍のお説教や、現実に迎合する「リアリズム」で手堅くまとめることをもっとも嫌う人です。
高度経済成長時代、『飛び出せ!青春』の主人公・レッツビギンこと河野先生(村野武範)は、学校の先生の話なのに、「いい学校に入って、いい会社に入って」という生き方と距離を置くような指導をしました。
ドラマより
それは、当時“お受験”のために進学教室に通わされていた私にとって、強烈な鎌田敏夫イズムとの出会いでした。
『半沢直樹』が話題になりましたが、鎌田敏夫氏は『バブル』というドラマで、個人が組織に大胆にもたたかいをいどむ話を書いています。
個人が敗れたほうがリアリズムを感じるかもしれませんが、個人が組織に負ける話をわざわざドラマで作る必要があるのか、というのが鎌田敏夫氏の考え方です。
かといって、ご都合主義でまとめたらドラマの価値が根本から崩れます。そこを、上手にドラマにするのが脚本家の腕の見せ所、というわけです。
鎌田敏夫氏の、シナリオ学校時代の同期3人組との付き合いが、『俺たちの旅』の下敷きになっていることも述べています。
また、ヒロインの金沢碧が、表情も演技も硬い女優だったのに、監督のある“喝”で開眼したエピソードも述べられています。
金沢碧は、演技の上手い下手というより、薄幸そうな眼差しが私には気になっていたのですが、鎌田敏夫氏は大原麗子を例にあげて、「夜空に輝く星は、不幸の光を放つことで人を魅了する」と、どこか寂しさを感じさせる薄幸さもスター女優の条件であるとしています。
『俺たちの旅』だけでなく、石立鉄男シリーズでもお馴染みの斎藤光正監督が亡くなった時は、中村雅俊がコンサートで涙で声をつまらせたという件、読んでいてこちらも目頭が熱くなりました。
不倫ドラマといわれた通称「金妻」こと『金曜日の妻たちへ』について、そのような安易なレッテル貼りには反論しています。
鎌田敏夫氏曰く、『浮雲』(成瀬巳喜男監督)という映画のヒロインは、ひたすら男に尽くす従順な女ではない。でも女は相手の男と別れられないところが「戦後最高の恋愛映画」というのです。
書籍に明記されているわけではありませんが、まさにそのヒロインこそ、『男女七人秋物語』で大竹しのぶ演じた神崎桃子だったのだと思います。
純愛や「倫理」など後景に退け、恋愛は自分も他人も傷つけるもの、でもせずにはおれない、という、キレイ事を抜きにした人間の意識をドラマにしたのが『男女七人秋物語』だったのだと思います。
そのほかにも、『雨の降る駅』『29歳のクリスマス』『過ぎし日のセレナーデ』『男たちによろしく』『ニューヨーク恋物語』など、鎌田敏夫フリークには外せないドラマについても触れています。
最後にひとつだけ注文をつけます。
この方の原点は、青春学園ドラマであったはずです。
脚本家の井手峻郎さんに弟子入りして、師匠がメインライターをつとめた青春学園ドラマ第三作目の『でっかい青春』でデビューし、初めてメインライターをつとめたのが『飛び出せ!青春』なのですから。
ところが、なぜかそのセリフは今回全く採り上げられませんでした。触れられた件は、わずかにこれだけ。
「学園ドラマを書いていたとき、高校時代の同級生に、『お前たちのやっていたことがドラマよりも面白かった』と、言われたことがあります」
ここだけは画竜点睛を欠いた憾みを感じます。
ドラマだって十分面白かったんですが。
学園という限られた舞台設定は、十分に人間を描ききることができず「卒業」したところだから振り返る優先順位が低かったのでしょうか。
でも私は、『われら青春』の第1回、生徒の坂口に言わせた台詞が忘れられません。
「先生、好きなんだろう。教師って職業が好きなんだろう。好きなことはそう簡単に諦めるもんじゃねえよ」
飽きっぽく気が弱い私に、わずかながら存在する忍耐力は、このセリフに支えられています。
いずれにしても、鎌田敏夫イズムの集大成といえるエッセイです。
鎌田敏夫氏といえば、1980年代からは作家活動も行っていますが、やはり脚本家としての仕事が印象に残ります。
鎌田敏夫氏の真骨頂は、人間個人がもつ意識の表現を、「社会の論理」の上に置くということです。
つまり、通り一遍のお説教や、現実に迎合する「リアリズム」で手堅くまとめることをもっとも嫌う人です。
高度経済成長時代、『飛び出せ!青春』の主人公・レッツビギンこと河野先生(村野武範)は、学校の先生の話なのに、「いい学校に入って、いい会社に入って」という生き方と距離を置くような指導をしました。
ドラマより
それは、当時“お受験”のために進学教室に通わされていた私にとって、強烈な鎌田敏夫イズムとの出会いでした。
『半沢直樹』が話題になりましたが、鎌田敏夫氏は『バブル』というドラマで、個人が組織に大胆にもたたかいをいどむ話を書いています。
個人が敗れたほうがリアリズムを感じるかもしれませんが、個人が組織に負ける話をわざわざドラマで作る必要があるのか、というのが鎌田敏夫氏の考え方です。
かといって、ご都合主義でまとめたらドラマの価値が根本から崩れます。そこを、上手にドラマにするのが脚本家の腕の見せ所、というわけです。
鎌田敏夫氏の、シナリオ学校時代の同期3人組との付き合いが、『俺たちの旅』の下敷きになっていることも述べています。
また、ヒロインの金沢碧が、表情も演技も硬い女優だったのに、監督のある“喝”で開眼したエピソードも述べられています。
金沢碧は、演技の上手い下手というより、薄幸そうな眼差しが私には気になっていたのですが、鎌田敏夫氏は大原麗子を例にあげて、「夜空に輝く星は、不幸の光を放つことで人を魅了する」と、どこか寂しさを感じさせる薄幸さもスター女優の条件であるとしています。
『俺たちの旅』だけでなく、石立鉄男シリーズでもお馴染みの斎藤光正監督が亡くなった時は、中村雅俊がコンサートで涙で声をつまらせたという件、読んでいてこちらも目頭が熱くなりました。
不倫ドラマといわれた通称「金妻」こと『金曜日の妻たちへ』について、そのような安易なレッテル貼りには反論しています。
ドラマを観て泣いたと、よく言われました。『男女七人秋物語』については、改めてなるほどと思いました。
このドラマには、悲しいシーンも可哀そうな設定も一切ありません。それなのに、なぜ泣けるのか。このドラマは、登場人物のすることを、一切断罪していません。人間がすることには、すべて、そうしなければいけない理由がある。それがぶっつかる、どうすることもできない切なさを描いたから、視聴者が泣いてくれたのです。
「不倫」、そんな言葉から出発してしまえば、そこにある男と女の切なさをすべて見逃してしまうことになります。倫理、そんなものは現実に任せておけばいいのです。
脚本家に必要なのは、現実に埋没してしまわない強靭な精神です。
鎌田敏夫氏曰く、『浮雲』(成瀬巳喜男監督)という映画のヒロインは、ひたすら男に尽くす従順な女ではない。でも女は相手の男と別れられないところが「戦後最高の恋愛映画」というのです。
書籍に明記されているわけではありませんが、まさにそのヒロインこそ、『男女七人秋物語』で大竹しのぶ演じた神崎桃子だったのだと思います。
純愛や「倫理」など後景に退け、恋愛は自分も他人も傷つけるもの、でもせずにはおれない、という、キレイ事を抜きにした人間の意識をドラマにしたのが『男女七人秋物語』だったのだと思います。
そのほかにも、『雨の降る駅』『29歳のクリスマス』『過ぎし日のセレナーデ』『男たちによろしく』『ニューヨーク恋物語』など、鎌田敏夫フリークには外せないドラマについても触れています。
最後にひとつだけ注文をつけます。
この方の原点は、青春学園ドラマであったはずです。
脚本家の井手峻郎さんに弟子入りして、師匠がメインライターをつとめた青春学園ドラマ第三作目の『でっかい青春』でデビューし、初めてメインライターをつとめたのが『飛び出せ!青春』なのですから。
ところが、なぜかそのセリフは今回全く採り上げられませんでした。触れられた件は、わずかにこれだけ。
「学園ドラマを書いていたとき、高校時代の同級生に、『お前たちのやっていたことがドラマよりも面白かった』と、言われたことがあります」
ここだけは画竜点睛を欠いた憾みを感じます。
ドラマだって十分面白かったんですが。
学園という限られた舞台設定は、十分に人間を描ききることができず「卒業」したところだから振り返る優先順位が低かったのでしょうか。
でも私は、『われら青春』の第1回、生徒の坂口に言わせた台詞が忘れられません。
「先生、好きなんだろう。教師って職業が好きなんだろう。好きなことはそう簡単に諦めるもんじゃねえよ」
飽きっぽく気が弱い私に、わずかながら存在する忍耐力は、このセリフに支えられています。
いずれにしても、鎌田敏夫イズムの集大成といえるエッセイです。
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