柳ジョージの亡くなった日が2011年10月10日です。今年は早くも3回忌になります。ということで、柳ジョージ&レイニー・ウッドのヒット曲『青い瞳のステラ』を中心にきょうは思い出します。
「ジョージ」という名前を初めて開いた人には、外国出身のジャズ歌手のような響きがあるかもしれませんが、サラリーマン家庭に育った横浜出身。本名は「譲治」です。
柳ジョージは日大藤沢高校時代にギターを始め、日本大学法学部時代にバンドを結成しました。
パワーハウス(69年)→ゴールデンカップス(70年)→渡英(72年)→ソロデビュー(78年)→柳ジョージ&レイニーウッド(78年)と紆余曲折がありました。
『青い瞳のステラ』(1980年7月30日)
青い瞳のステラ/1962年夏…
柳ジョージ&レイニー・ウッド
作詞:A面水南杜司 B面柳ジョージ
作曲・編曲:柳ジョージ
ワーナー・パイオニア
柳ジョージ&レイニー・ウッドが、徳間音楽工業からワーナー・パイオニアへ移籍して第2弾(通算8枚目)のシングルです。
メンバーは、柳ジョージ(ボーカル・ギター)、上綱克彦(ボーカル・キーボード リーダー)、石井清登(ボーカル・ギター)、ミッキー・ヤマモト(ボーカル・ベース)、四ツ田ヨシヒロ(ボーカル・ドラム)、鈴木明男(ボーカル・サックス・フルート)など6名。
前年にリリースしたアルバム『RAINYWOOD AVENUE』がオリコンチャート1位になり、同年12月には日本武道館で初のコンサートも行っています。
今はドームがありますけど、いえ、今でも武道館で興行を打つというのはすごいことです。
武道館というのは、1度おさえるとキャンセルが出来ないんです。
つまり、興行が打てないと莫大な使用料がそのままかかるほか、業界の信用も失います。
グループはこの頃が全盛だったと思います。
82年3月には、新たに田辺昭知とザ・スパイダース出身のイノヤンこと井上尭之がギタリストとして参加。柳ジョージ/ザ・バンド・オブ・ザ・ナイトを結成しました。
この頃は、バンドとか、シンガーソングライターとか、ずいぶんメジャーデビューしているのですね。
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かぐや姫やチューリップが70年、南佳孝(はっぴーえんど)が73年、井上陽水やキャロルが74年、浜田省吾の「愛奴」が75年、杉真理が77年、サザン・オールスターズやSHOTOSUNが78年、クリスタルキングが79年……
歌手のリリースには、インディーとメジャーがあり、インディーズデビューというのは、媒体(CD)の流通が自主流通。大手組織を経由して全国に配給する営業展開を行うのがメジャーといいます。
最近はネットのダウンロードなど、販売チャンネルが多様化してきたので必ずしもその定義に収まらないかもしれませんが、たとえば自分で歌をプレスしてレーベルを興せば、それはアーチスト活動ですが、インディーズとなります。
地域的な活動とか、一部のマニア的な人達に支えられるアーチストが、次々メジャーデビューしたわけで、そういう意味ではいい時代だったといえるでしょう。
柳ジョージ&レイニー・ウッドも、そういう時代の中で個性と能力を全面開花させた頃だったんでしょうね。
柳ジョージというと、浅野真弓も思い出します。
ドラマ『雑居時代』のデコちゃん、元気でやってるのかな、なんて思います。
私はこの頃学生でしたが、柳ジョージと、やはりこの時期に活躍していたシュガーの長沢久美子に触発されてギターに凝った時期です。
ま、何をやってもモノにならない私は、ここでも挫折しましたが……(汗)
余談ですが、長沢久美子さんとは結婚するまで年賀状のやりとりがありました。「また飲みに行こう」って書いてくるのですが、私は彼女と飲んだことはありません(苦笑)
80年といえば、秋の「マックスファクター」のCMで、ブレッド&バターが『ジェニーの秋は、光色』を歌っていました。
『ともしび』(1975年)が『おふくろさん』(日本テレビ)というドラマのテーマソングに採用され、彼らも東京・世田谷の四谷軒牧場のシーンでドラマに出演していましたが、それ以来の大きな仕事でした。
四谷軒牧場というのはまさに牛を飼う牧場。東京23区にあることでめずらしかったのですが、その後ファミレスになって、今はマンションになっています。
ということで、最後は脱線しましたが、柳ジョージの『青い瞳のステラ』でした。
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