山田隆さん。昭和プロレスファンには懐かしい名前です。東京スポーツの記者として、日本プロレス、全日本プロレス中継の解説者として長くプロレスに関わってこられました。今日は、9月8日が祥月命日だった山田隆さんと、なめだるま親方こと島本慶氏、そして漫画家の中崎タツヤ氏の関係について書いてみます。
まずは山田隆さん。「実況:倉持隆夫、解説:山田隆」といえば、プロレスファンにはお馴染みの、70年代~80年代の全日本プロレス中継コンビです。
山田隆さんは、まだネットがなく、各テリトリーで多くの団体が興行を行っていた(つまり情報があまり入ってこなかった)当時のアメリカの“本場のプロレス”について、プロレス新聞ともいわれる東京スポーツの記者である強みで、現地の特派員・通信員から得た情報を解説に採り入れて人気を博しました。
一方で、お色気も多い夕刊紙東京スポーツ紙の編集局長であった山田隆さんは、そのお色気ページで風俗ライターの島本慶氏を起用。当時から面倒見のいい山田隆さんは島本慶氏を重用し、島本慶氏は風俗ライター、なめだるま親方としてのブランディングを同紙で確立しました。
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島本慶氏の原稿は本人の実力ですが、山田隆氏もなめだるま親方誕生に貢献したといっていいでしょう。
その後、在籍する東京スポーツでは出世を巡る争いがあり、それにくたびれた山田隆氏は東京スポーツを退社。プロレス中継解説の仕事は続けながらも、書き屋としては一介のフリーライターになりました。
するとなめだるま親方は、自分の事務所に山田隆のデスクを置き、客分として迎え入れました。
恩返しをしたわけですね。
また、なめだるま親方は、事務所が編集・発行していた雑誌で、一風変わった、いわゆるヘタウマ漫画を描く中崎タツヤという人に連載をさせていました。
山田隆さんが自分をイチオシ!してくれたように、なめだるま親方も中崎タツヤ氏を重用しました。
中崎タツヤ氏は、やがて「地味」で「変」な作風の『じみへん』でブレイク。第38回文藝春秋漫画賞も受賞しました。
Amazonより
もちろん、漫画家として成功できたのは中崎タツヤ氏自身の実力があってこそですが、その実力を備える機会や、能力を全面開花するための精神的な支えとして、なめだるま親方こと島本慶氏の存在も大きかったと思います。
山田隆さん、なめだるま親方こと島本慶氏、中崎タツヤ氏の関係を見ていると、人との出会いというのが人生には必要なんだな、そして「情けは人の為ならず」というのは本当にあるんだなあ、と思います。
もっとも、出会いがあっても、それだけではだめ。そこからは本人の頑張りが必要です。
山田隆さんは、なめだるま親方の事務所が編集・発行していた雑誌に、グルメと格闘技、マネー(財テク)のコーナーを執筆していました。
面倒見のいい山田隆さんは、その中のマネー(財テク)のコーナーを、その少し前まで金融関係の仕事をしていた私に「やってくれ」と任せてくれました。
当時、私はある雑誌で力道山の読み物を作るのに山田隆さんに協力していただいただけの関係だったのですが、私を信用してくれたんですね。
しかし、力不足の私の連載は半年で打ち切り。私は結局、第二のなめだるま親方にも中崎タツヤにもなれませんでした。
まあ、私にとってはほろ苦いけれど、その人達と仕事ができた青春のいい思い出です。
「日刊ゲンダイ」(9月7日付)より
今も「日刊ゲンダイ」で、なめだるま親方の下品な(笑)レポートを見ると、「まだ現役なんだな」と嬉しく思います。
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