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笑福亭松鶴の祥月命日に思い出す三冊の落語界“暴露本” [芸能]

笑福亭松鶴。上方噺家の由緒ある名跡です。1986年9月5日は6代目笑福亭松鶴が亡くなった日です。きょうは、笑福亭松鶴との師弟生活を描いた笑福亭松枝著『ためいき坂 くちぶえ坂ー松鶴と弟子たちのドガチャガ』のほか、三遊亭圓丈著『御乱心ー落語協会分裂と、円生とその弟子たち』、金田一だん平著『落語家見習い残酷物語』など、3冊の落語家の暴露本について書いてみたいと思います。

私は東京生まれの東京育ちのため、上方噺家に詳しくありません。

が、少年の頃、大喜利のようなコーナーで、進行役の笑福亭松鶴が、いきなり「おもろい!」と怒鳴るNHKの昼の番組を見て、剛気と狂気と、その一方で繊細さを感じさせる人間性に興味を持ちました。

その笑福亭松鶴は、上方噺家に続く大名跡。落語や歌舞伎、相撲など伝統を売り物にしている世界では、6代目が亡くなると、7代目という話が出てきます。

そんな、笑福亭松鶴と弟子との生活や、7代目襲名騒動を描いたのが、弟子の笑福亭松枝が描いた『ためいき坂くちぶえ坂』(浪速社)でした。

弟子が師匠との生活を暴露する。そんな書籍がこれまで何冊か上梓されています。

今日は同書とともに、三遊亭圓丈が落語協会分裂における師匠のふるまいを批判した『御乱心ー落語協会分裂と、円生とその弟子たち』(主婦の友社)、すでに廃業した金田一だん平(三遊亭窓太)が師匠を間違えたと悔やむ『落語家見習い残酷物語』(晩聲社)などについて振り返ってみます

笑福亭松枝『ためいき坂 くちぶえ坂ー松鶴と弟子たちのドガチャガ』(浪速社)

ためいき坂くちぶえ坂.jpg

兄弟子の笑福亭仁鶴が、松竹芸能社長の勧めで「笑福亭松鶴7代目」襲名を提案。同書は、弟子としては留め置いてほしい名跡を襲名させることに対する苦悩が描かれています。

ただし、仁鶴を責めたり、襲名がなぜイヤなのかということを理路整然と語ったりする重さや堅苦しさではなく、笑福亭松鶴との面白困った師弟生活を描く“師弟愛による反論”になっています。

つまり、一騎当千の個性をもった松鶴師匠の名前は、松鶴師匠以外にありえない。それを知っている自分たち弟子が現役の間は「欠番」にしておいてほしいという思いです。

師匠との面白困った生活は、理不尽なこともありますが、思わずほろりとする場面もあり、等身大の人間とその心が描かれています。

そしてなにより、笑福亭松枝、文章うますぎ!

私が、小説やノンフィクションを書くときはこんなテイストに仕上げてみたいと思いました。

同書は、落語に詳しかったり特別な関心のない方にもお勧めの一冊です。

三遊亭円丈『御乱心ー落語協会分裂と、円生とその弟子たち』(主婦の友社)

御乱心.jpg

1978年に日本落語協会という落語家の組織が分裂しました。職人気質で好き嫌いが極端にはっきりしていた6代目三遊亭円生が、協会(5代目柳家小さん会長)大量の真打ち昇進に反発して一門で脱退。しかし、一部「造反者」が出た上に円生が亡くなり、結局は5代目三遊亭圓楽一門だけが新しい協会を作ったという顛末です。

三遊亭円丈は結局落語協会に戻りましたが、分裂騒動における兄弟子・圓楽や師匠・円生を批判。圓楽については、無節操かつ傲慢で責任転嫁ばかりしている人物として具体的にそのふるまいを暴露して批判し、円生については、圓楽のえこひいきなどで結局三遊亭の本流である一門をぶち壊してしまったことを「許さない」と厳しく糾弾しています。

これに対して、三遊亭圓楽は名誉毀損の訴訟どころか反論もしませんでした。その一方で、三遊亭円丈の『笑点』出演を拒んだといいますから、きっと事実が書かれていたのでしょう。

同書のように師匠や兄弟子の実態を暴露し批判する。建前やキレイ事が好きな日本人には評価がわかれる行為かもしれません。

私は、公益性ある真実であるならその著作物は尊重したいと思います。

『ためいき坂、くちぶえ坂』との違いは、笑福亭松枝が、7代目を提案する笑福亭仁鶴を糾弾するよりも、それによる自分や兄弟弟子の思いを中心に語っているのに比べて、この『御乱心』の方は、もっぱら円生や円楽らのふるまいを具体的にあげつらい、責め立てる内容になっています。

好き嫌いは、読む人によるでしょう。

私は、以前、圓丈師匠のお宅をお訪ねしたことがあります。ご本人は紳士的で、むしろおとなしい方のように思えました。

この書籍は、「どうしても書かずにおれない」という思いだったのでしょう。

師匠愛はこわれてしまったのかもしれませんが、そのルーツである三遊亭一門本流に対する誇りや愛情は、筆致が厳しいからこそ十分に伝わってきます。

金田一だん平『落語家見習い残酷物語』(晩聲社)

金田一だん平『落語家見習い残酷物語』.jpg

上智大学のオチケン(落語研究会)に在籍していた若者が落語家を志しますが、深く考えず、尊敬していた落語家ではない6代目三遊亭圓窓に安直に弟子入り。入門後、師匠と兄弟子たちのイジメに不満はたまるものの、師匠を勝手に代えられない世界のため、十分に力を発揮できず落語家として大成できなかったとする、元三遊亭窓太の暴露本です。

この書籍は、ネットで、恩知らずぶりや自分勝手な暴露を叩かれまくっていました。

版元がつけたコピーも「私怨と私憤満載の不思議本」

この件に限って言えば、私もネット掲示板に賛成です。

「私怨と私憤」が上梓のきっかけになることは悪いと思いませんが、そこで完結しているところが、『ためいき坂、くちぶえ坂』や『御乱心』とは根本的に違うところです。

嫌な上司・嫌な先輩・不条理な業界。

だれにでも経験あるどこにでもある話ですよね。

その悪口だけを書いても、最初のうちは「うんうん、いるいる」と思ってもらえるかもしれませんが、そこで完結したら救いがありません。

そこから、たとえば落語界をこう改めたらこんな点が良くなるのではないか、という提案がないと、結局「だから何?」という反問を抱かれることになるでしょう。

そもそも書籍を100%信用しても、三遊亭圓窓が特別ひどい人間には私にはどうしても読めませんでした。

ほかにも三遊亭楽太郎(現円楽)、川柳川柳、先代林家正蔵らを誹謗し、その一方で立川談志を絶賛していますが、では立川流に入門したらこの人はモノになったのか。

落語界では当り前の師弟関係に不満なら、おそらく師匠が誰であっても、元三遊亭窓太はきっと同じ本を書いていたのではないかと思います。

この中には、確かに落語界の旧弊な面も描かれているのだと思いますが、「私怨、私憤」のモチーフがあまりにも強すぎて、読者の胸にストンと落ちにくいように思えるのが惜しまれます。

昔から、漫才は大阪、落語は東京、などといわれてきました。

確かに真打ち制度を確立し、雑多な知識を勉強させる仕組みは、部外者から見ると東京のほうが「養成」という観点から見て優れているようにも見えます。

しかし、(元)落語家の上記の「暴露本」を読む限り、師匠や落語に対する切ない思いを表現させるなら大阪でしょうか。

ま、東京の落語家は多彩ですから、これだけで判断はできませんけどね。

ためいき坂 くちぶえ坂―松鶴と弟子たちのドガチャガ

ためいき坂 くちぶえ坂―松鶴と弟子たちのドガチャガ

  • 作者: 笑福亭 松枝
  • 出版社/メーカー: 浪速社
  • 発売日: 2011/07
  • メディア: 単行本


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