ハワイアンミュージック。ゆったりとしたメロディーは、昭和20~30年代に日本の商業音楽界にもひとつの潮流を作りましたが、フォークソングなど時代の流行にバトンタッチする形で、フェードアウトしました。最後のハワイアン調の歌は、チェリッシュが1974年に歌った『渚のささやき』だと思います。
横浜港・大さん橋国際客船ターミナルなどで、ハワイイベント「アロハヨコハマ」が開催されるというニュースが報じられました。それ自体はありふれたローカルイベントですが、記事中にあった「
ハワイアンコンサート」という言葉が目につきました。
横浜都心臨海部各所でハワイイベント「アロハヨコハマ」 /神奈川
みんなの経済新聞ネットワーク 7月23日(火)12時55分配信
横浜港大さん橋国際客船ターミナル(横浜市中区海岸通1)を中心に横浜都心臨海部各所で7月26日から3日間、ハワイイベント「アロハ ヨコハマ 2013」が開催される。(ヨコハマ経済新聞)
アロハ ヨコハマは、寛容と敬愛と助け合いをモットーとする精神「アロハ・スピリッツ」で、横浜とハワイの歴史的なつながりを伝えることを目的とした夏の恒例イベント。ハワイを体感できる多彩なプログラムをおこなう。動員目標は3日間で20万人(全会場合計)。
会場は、横浜港大さん橋国際客船ターミナル、横浜ランドマーク、横浜ベイクォーター、横浜ワールドポーターズ。
会期中は、国内外のアーティストによるフラショーやハワイアンコンサートをはじめ、ハワイアンキルトやリボンレイ、ハワイアンキャンドルなどの体験型ワークショップを実施。ハワイアン・マーケットには100店舗以上が出店し、ハワイのウェアや雑貨、アクセサリーを提供する。(中略)
開催時間は7月26日・27日=10時~21時、28日=10時~18時(会場による)。入場無料。詳細はホームページで。
ハワイアンミュージックとは、文字通りハワイで演奏される民族音楽やポップスを歌ったもの。
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戦後、駐留軍の影響でハワイアン音楽のプロ・アマバンドが流行しました。
灰田晴彦・勝彦兄弟やバッキー白片、ディック・ミネなどがハワイアン音楽を歌い、昭和20~40年代にかけて華やいだ時代を作っています。
現在も活躍するベテラン歌手の多くも、かつてはハワイアン調の曲による歌をリリースしています。私は、ハワイアンというと日野てる子を連想するのですが、今日ご紹介したいのはチェリッシュです。
今から39年前の1974年7月25日に、ハワイアン調の歌をリリースしています。
渚のささやき/別れの予告
チェリッシュ
作詞:林春雄
作曲・編曲:筒美京平
ビクターレコード
チェリツシュ11枚目のシングルです。リリースされたのは74年夏ですが、チェリッシュにとってのハイライトはその前のリリースまで、すなわち73年から74年前半といわれています。
『避暑地の恋』(73年4月25日)がオリコン3位に入ると、続く『てんとう虫のサンバ』(73年7月5日)は代表曲といわれるほどヒット。第15回日本レコード大賞・歌唱賞や、第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞などを受賞。NHK紅白歌合戦にも初出場しました。いまだにあちこちの結婚披露宴では、この歌が歌われています。
この年に発売されたアルバム『チェリッシュ・スーパーデラックス』の売上げはビクター新記録。74年になってもその勢いは衰えず、『白いギター』(73年9月25日)がオリコン5位、『恋の風車』(74年1月15日)が3位、『ふたりの急行列車』(74年4月25日)が7位と立て続けにヒットしました。
しかし、実はそれがチェリッシュにとって最後のベストテン入り曲でした。
この『渚のささやき』が18位に留まってからは失速。チュリッシュ公式サイトにも、74年には主だった出来事は記されていません。以後、チェリッシュにランキングを争うヒット曲はありません。
しかし、歌自体は、ハワイアン音楽的な要素が採り入れられ、それまでヒットしていた歌に比べてゆったりと歌っている穏やかな一曲です。
松崎好孝の単独パートもあり、他の曲ではわかりにくい彼の歌声も聴くことができます。
時代は昭和40年代から50年代に移ろうという時であり、チェリッシュというよりも、ハワイアン音楽の終葛を象徴するセールスだったといえるかもしれません。
現代は渡航自由で、情報も文化も人もボーダレス化しています。テクノポップなど、音響技術を利用したジャンルも登場しました。
ですから、民族歌謡や伝統文化の歌が流行してメジャーシーンに登場することはもうないかもしれません。
が、こうした潮流が歌謡史の一時代を担っていたことは覚えておきたいと思います。
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