大森といえば、東京都大田区の北東部。地理的にはJR線よりも山側は文士村、私鉄京急線より海側は美原通りなど東海道関連の史跡があります。大田観光協会お勧めの大田区観光コースをなぞった散歩。今回は大森の海側を歩いてみました。
大森は、江戸時代浅草海苔を将軍家に献上した歴史をもっていますが、その名前は浅草海苔。
大森で獲れた海苔でも、商品名は浅草海苔なんですね。大森海苔ではないのです。
大森で獲った海苔を浅草で商品とした、もしくは売ったからそう名付けられたなどといわれていますが、私が小学校3年のときに経験した社会科見学で、担任の先生は、「大森」より「浅草」の方が名前がメジャーだからそうしたのだろうと説明してくれました。(大田区の小学校は、3年次に大森の史跡や旧東海道を見学するのです)
現在の幹線道路は東海道がベースにはなっていますが、そのまま使われているわけではありません。
大森には、国道15号線と東京都道318号環状七号線の交差点から海側に5分ほど歩いたところ、現在の目印ではファミリーマート平和島店のある四つ角を交差する通りに、旧東海道がほぼ往時の道幅のまま残されています(もっとも、地面は煉瓦で舗装されていますが)
・美原通り(大森本町2-1から大森東1-4付近)
名前は三原通り。今は「美原通り」と書いています。
北原、中原、南原の三つの通りを合わせた「三原」に因んだそうです。
通りには、東海道の様子を描いたタイル画を見ることができます。
商店街は、海苔の小売店や問屋が何軒も立ち並びます。
江戸時代は海沿いにあり、貸しボート場があったという説明の立札もたっています。
とにかく自転車が多いです。自動車は通行止めにこそなっていませんが、自転車も通行人も自動車に全く気を使わないので、車で突っ切るのは往生します。
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・旧東海道碑(大森本町2-2-5)
大森スポーツセンター前に、この場所が旧東海道であったとの記念碑がたっています。美原通りの北端ですが、ほとんど意識されていません。
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・磐井神社(大森北2-20-8)
いわいじんじゃ、と読みます。ここは美原通りから国道15号線をまたいで品川方面に15分ほど北上したところにある神社です。
「延喜式神名帳」に記載されている徳川家の将軍も参詣した古社。東海道を行き来する人が井戸水を使った神社ということですが、実はここは、パワースポットらしいのです。
ここの井戸の水は万病に効く霊水とされ、心正しい人には清水になるが、邪心のある人には塩水になるそうです。
これはおもしろい、と思い境内を探しましたが、今は井戸は境内にないそうです。がっくり。
きっと、興味本位で多くの人が水をとりに来て神社に迷惑をかけたのでしょう。
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磐井神社を10分ほど南下すると、密巌院という寺院があります。
・お七地蔵(大森北3-5-4)
お七地蔵というのは、天保3年(1683年)に、恋しい人に会いたくて放火をして、火あぶりの刑で鈴が森の露と消えた八百屋お七の霊を慰めるために立てられたものです。
火災で避難したときに出会った小姓と恋仲になったお七が、また火災になればその小姓と再会できると放火したという話です。
京急線を挟んで海側は首都高鈴ヶ森料金所があります。
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今度は美原通りを南下して東邦大学に面したバス通り、いわゆる「東邦医大通り」を北へ向かい、大森第八中学の手前を右に曲がって5分ほど歩くと、東海道一本灯篭台石(とうかいどういっぽんとうろうだいいし)があります。
・東海道一本灯篭台石(大田区大森西5-2-13)
江戸後期、東海道を旅する人に目印として東海道に立っていた常夜灯だそうです。
正面の台石は山の形をしていますが、これは富士山です。富士山が庚申の年に出現したという伝説を表しているのだそうです。
区指定の文化財になっており、現在周囲は公園、隣は区立図書館(大森西図書館)です。
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というわけで、次回は大森の山側に行ってみたいと思います。
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