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桜井センリ、クレージーキャッツでのタブーも明かされた新盆 [東宝昭和喜劇]

桜井センリ、クレージーキャッツでのタブーも明かされた新盆

桜井センリといえば、クレージーキャッツに途中参加した最年長のピアニストです。昨年11月に亡くなったので今年が新盆になります。今月6日に発売されたDVDマガジン『東宝昭和の爆笑新喜劇』Vol.7には、映画本編は「クレージーメキシコ大作戦」を収録、マガジンでは桜井センリを特集しています。



今日は盆の正日なので、桜井センリとクレージーキャッツについて書いてみます。

40代後半に入った私の妻が、桜井センリのこともクレージーキャッツもよく知らないといいます。

そんなもんでしょうか。

まあ、小学校に上がる前から、毎週日曜日になると、父に連れられて東宝や松竹の映画を見に行き、かつクレージー全盛の頃のテレビを見ていた私と、小学校に上がったころはすでにドリフターズの時代になっており、チャンネルも2つしかなかった地方出身の妻とでは、年齢以上に経験した文化に大きな違いがあるのかもしれません。

ただ、それにしたって、『パパと呼ばないで』や『前略おふくろ様』など、70年代の人気ドラマに出演している桜井センリを知らないはずはない!

要するに、顔と名前が一致しないだけだと思います。

たしかに、クレージーキャッツといえば、ハナ肇、植木等、谷啓を中心に映画やテレビ番組が作られ、現在ただ一人存命の犬塚弘が「第四の男」、あとの3人は“音楽担当”といった見方をされます。

実際に本人たちもそう自覚していたことが、クレージー関連の書籍を読むと都度都度に出てきます。

ただし、それは決して“その他大勢”という意味ではありません。

それぞれグループには必要な役割と代えがたい個性をもった存在だったのです。

元楽天監督の野村克也氏がヤクルト監督の頃、オーダーもメンバーもクルクルかえるオリックスの仰木彬監督について、「あちらの野球は碁。こっちは将棋」といいました。

要するに1番から9番まで、必然性のあるオーダーを組んで選手の個性を生かした野球をウチはしているという意味だったと思います。

クレージーキャッツも、そのたとえでいえば碁ではなく将棋だったのでしょう。

クレージーキャッツは、卓越した音楽(ジャズ)グループといわれますが、「第七の男」である安田伸と桜井センリは、正真正銘掛け値なしに音楽の秀才です。

学歴や肩書で評価するのは一面的かもしれませんが、安田伸は東京藝術大学別科修了、帰国子女の桜井センリは小学校3年生で東京藝術大学児童学園に転校し、大学は早稲田大学に入ったものの2年のときからジャズピアニストとして活躍しています。

桜井センリが入る頃はすでにクレージーキャッツは売れっ子グループでしたが、それでもギャラは等分されます。

当時の桜井センリのピアニストとしての収入は、クレージーの一員としてもらうものよりも多かったそうです。

安田伸がやっていた、テナーサックスやトランペットを吹きながらブリッジして頭を中心にして円を描くパフォーマンスは、前任者の石田正弘時代にすでに行われていたようです。

私は、石田正弘時代を知らないので書籍で見ただけですが、いずれにしても演奏家・安田秀峰(安田伸の本名)の本来の姿ではなかったようです。

しかし、安田伸は、「ぼくは(お笑いは)何もできませんから」と謙虚に“音楽担当”に徹し、『シャボン玉ホリデー』では、古沢憲吾監督のパロディーであるなべおさみ(ハナ肇の付き人)にメガホンで殴られる役を黙々と演じていました。

桜井センリは、クレージー映画では外交官(クレージーの黄金作戦)、日系人(クレージーのメキシコ大作戦)など、帰国子女であることを活かした配役が多く、ピンでも主役や脇役、CMの当たり役などに恵まれ、生涯の実績では犬塚弘を超えて三人に肉薄しているのではないかと思います。

私が小学生のころ、「おたく何コロ?」という桜井センリの殺虫剤のCMの決め言葉が学校ではやったこともあります。

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今だから!?明かせる桜井センリのタブー


そんな桜井センリにも、亡くなってからタブーが3つあったことが明らかにされました。

ひとつは年齢。

実は最年長でしたが、グループ内の序列を意識して2番目に若いことにしていました。

二つ目はカツラ。

晩年、ドラマ『寺内貫太郎一家』(1991年)に、亡くなった伴淳三郎の代わりに出演したときは頭髪が全くない状態だったので、「あー、トシとったなあ」と見たときに思いましたが、実はクレージー時代からそのような頭髪だったわけです。

そして三つ目は、名ピアニストで作曲なども行っていながら実は耳が悪かった。

これは少し驚きました。

商売柄、それ以上のハンデはないでしょう。

目が悪ければパイロットになれないし、肩を壊したら野球選手もできません。

耳が悪いのに耳で勝負する音楽家としてどうやって活躍できたのか。

私はそのことを知ってから、桜井センリという人やクレージーキャッツに興味がわいてきました。

しかし、私もちょっと気づくのが遅すぎますね。

1960年代に全盛だった人たちについて、メンバーが1人しか残っていない21世紀に入ってから興味がわくなんて。

古き良き時代の良い部分を改めて確認し、気づいたことがあったらまたこのブログで書いてみたいと思います。

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  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/07/02
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