堀ちえみ『青い夏のエピローグ』と『スチュワーデス物語』の真相 [芸能]
堀ちえみのことを思い出しました。懐かしいですね。『青い夏のエピローグ』という歌をリリースしたのが30年前(にもなるんですねえ)の1983年7月7日でした。その年は『スチュワーデス物語』という人気ドラマにも出演しています。
なぜ堀ちえみを思い出したのか。
連れ子あり同士で再婚した大家族の母親某が、離婚してタレントになると話題になっています。
が、話題になれば何でもありの芸能界と言っても、さすがに「話題だけ」のシロートさんの参入は違和感を抱かざるをえません。どこが「芸能」なの、といいたくなります。
そもそも、この大家族が離婚して2家族に分裂した以上、実子5人と現夫の連れ子2人の計7人の子が居る堀ちえみこそが、今や芸能界一の子だくさん家族です。
母親某は、ビッグマミィの冠を堀ちえみに譲るべきです(笑)
青い夏のエピローグ/ザ・ベストワン
堀ちえみ
作詞:若里祐穂
作曲:若里未央
編曲:荻田光雄/鴬巣詩郎
レコード会社キャニオン
リリース年月日 1983年7月7日
堀ちえみ7枚目のシングルです。
堀ちえみは、ホリプロが新人発掘に始めた「(第6回)ホリプロタレントスカウトキャラバン」(81年)に優勝して芸能界入り。『潮風の少女』(1982年3月21日)でデビューしました。
有力新人がしのぎを削る中で、第1回メガロポリス歌謡祭、第8回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭、第9回横浜音楽祭、第9国FNS歌謡祭、第24回日本レコード大賞など各賞新人賞部門を総なめにしています。
wikiによると、『青い夏のエピローグ』にはこのようなエピソードが書かれています。
『スチュワーデス物語』(大映テレビ、TBS)は40代以上の人なら覚えているでしょう。彼女主演の日本航空客室乗務員・訓練生の生活を描いた当時の人気ドラマです。
が、『スチュワーデス物語』の放送が開始されたのは、その3ヵ月後の1983年10月からです。
wikiの説明では、時期がずれているようにも思えます。
当時の『スチュワーデス物語』のロケ映像を見ると、今のような猛暑を思わせる時期から撮影されているのがわかるので、このエピソードはたぶん事実なのでしょう。
が、まだドラマはオンエアされていなかったわけですから、おそらくその放送をみた人々は、「なぜ堀ちえみが飛行機の中でスチュワーデスの格好をしてるの?」と思ったのではないでしょうか。
『スチュワーデス物語』は、「教官!」「ドジでノロマな亀」といった決めゼリフや、大映ドラマ調の漫画チックなストーリー展開が大受けして、彼女のポビラリティはますます高まっていきました。
この時期の堀ちえみの芸能生活は、「夏のエピローグ」というより、まさに絶頂、灼熱の夏といった趣でした。
『スチュワーデス物語』には、元日航社員・深田祐介氏による原作がありますが、その主人公は、国立大学を出た優等生の話です。
小説の主人公・松本千秋と、ドラマで堀ちえみの演じた松本千秋とは180度違うキャラクターなので、ドラマを先に見てしまうと、正直言ってがっかりします。
まあ深田祐介氏の小説の方は、より現実に近いものだったのでしょう。
でもドラマって、ディテールはリアルに、でもストーリーには「嘘」がないと面白くなりません。
ハッピーエンドを見て「こんなにうまくいくかよ」と思っても、だったら失意におわる最後の方がいいかというとそうではなくて、嘘でもいいから登場人物がハッピーな方が見る者の気持ちも安らぐことってありますよね。(もちろん、ストーリー展開によってはハッピーエンドが似合わないものもありますが)
でも今のネット時代では、「嘘」は冷徹に批評されてしまうでしょう。その意味で、ストーリーの「嘘」が受け入れられる古き良き時代のドラマだったのかもしれません。
『青い夏のエピローグ』に話を戻しますと、作詞の岩里祐穂は、シンガーソングライター・いわさきゆうことして活動後、堀ちえみが5枚目にリリースした『さよならの物語』(1983年1月21日)で作詞・作曲家としてデビューしました。
作曲は若里未央となっていますが、別に双子でも姉妹でもありません。作曲家・三浦一年が岩里祐穂と仕事をするときに使ったペンネームです。
相原芳恵や高橋真梨子、中山美穂、早見優らの曲を手がけています。
なぜ堀ちえみを思い出したのか。
連れ子あり同士で再婚した大家族の母親某が、離婚してタレントになると話題になっています。
が、話題になれば何でもありの芸能界と言っても、さすがに「話題だけ」のシロートさんの参入は違和感を抱かざるをえません。どこが「芸能」なの、といいたくなります。
そもそも、この大家族が離婚して2家族に分裂した以上、実子5人と現夫の連れ子2人の計7人の子が居る堀ちえみこそが、今や芸能界一の子だくさん家族です。
母親某は、ビッグマミィの冠を堀ちえみに譲るべきです(笑)
青い夏のエピローグ/ザ・ベストワン
堀ちえみ
作詞:若里祐穂
作曲:若里未央
編曲:荻田光雄/鴬巣詩郎
レコード会社キャニオン
リリース年月日 1983年7月7日
堀ちえみ7枚目のシングルです。
堀ちえみは、ホリプロが新人発掘に始めた「(第6回)ホリプロタレントスカウトキャラバン」(81年)に優勝して芸能界入り。『潮風の少女』(1982年3月21日)でデビューしました。
有力新人がしのぎを削る中で、第1回メガロポリス歌謡祭、第8回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭、第9回横浜音楽祭、第9国FNS歌謡祭、第24回日本レコード大賞など各賞新人賞部門を総なめにしています。
wikiによると、『青い夏のエピローグ』にはこのようなエピソードが書かれています。
1983年7月に、堀ちえみが成田空港に駐機中のボーイング747-246型機(JA8161)の機内でロケーション中に、同じTBSで当時放送されていた人気歌番組『ザ・ベストテン』の中継が入り、客室乗務員の制服を着用したまま機内のファーストクラス付近で、当時の新曲である「青い夏のエピローグ」を歌った。
『スチュワーデス物語』(大映テレビ、TBS)は40代以上の人なら覚えているでしょう。彼女主演の日本航空客室乗務員・訓練生の生活を描いた当時の人気ドラマです。
が、『スチュワーデス物語』の放送が開始されたのは、その3ヵ月後の1983年10月からです。
wikiの説明では、時期がずれているようにも思えます。
当時の『スチュワーデス物語』のロケ映像を見ると、今のような猛暑を思わせる時期から撮影されているのがわかるので、このエピソードはたぶん事実なのでしょう。
が、まだドラマはオンエアされていなかったわけですから、おそらくその放送をみた人々は、「なぜ堀ちえみが飛行機の中でスチュワーデスの格好をしてるの?」と思ったのではないでしょうか。
『スチュワーデス物語』は、「教官!」「ドジでノロマな亀」といった決めゼリフや、大映ドラマ調の漫画チックなストーリー展開が大受けして、彼女のポビラリティはますます高まっていきました。
この時期の堀ちえみの芸能生活は、「夏のエピローグ」というより、まさに絶頂、灼熱の夏といった趣でした。
『スチュワーデス物語』には、元日航社員・深田祐介氏による原作がありますが、その主人公は、国立大学を出た優等生の話です。
小説の主人公・松本千秋と、ドラマで堀ちえみの演じた松本千秋とは180度違うキャラクターなので、ドラマを先に見てしまうと、正直言ってがっかりします。
まあ深田祐介氏の小説の方は、より現実に近いものだったのでしょう。
でもドラマって、ディテールはリアルに、でもストーリーには「嘘」がないと面白くなりません。
ハッピーエンドを見て「こんなにうまくいくかよ」と思っても、だったら失意におわる最後の方がいいかというとそうではなくて、嘘でもいいから登場人物がハッピーな方が見る者の気持ちも安らぐことってありますよね。(もちろん、ストーリー展開によってはハッピーエンドが似合わないものもありますが)
でも今のネット時代では、「嘘」は冷徹に批評されてしまうでしょう。その意味で、ストーリーの「嘘」が受け入れられる古き良き時代のドラマだったのかもしれません。
『青い夏のエピローグ』に話を戻しますと、作詞の岩里祐穂は、シンガーソングライター・いわさきゆうことして活動後、堀ちえみが5枚目にリリースした『さよならの物語』(1983年1月21日)で作詞・作曲家としてデビューしました。
作曲は若里未央となっていますが、別に双子でも姉妹でもありません。作曲家・三浦一年が岩里祐穂と仕事をするときに使ったペンネームです。
相原芳恵や高橋真梨子、中山美穂、早見優らの曲を手がけています。
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