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高島忠夫・寿美花代夫妻、長男殺害事件を経験した人生 [芸能]

高島忠夫・寿美花代夫妻、長男殺害事件を経験した人生

高島忠夫・寿美花代夫妻が、人生で最も悲しかった49年前の「長男殺害事件」について、初めてメディアで話したというニュースが、今朝ネットを見ていたら目に入りました。

昨年、淡路恵子が自殺した四男のことも含めた自伝を上梓しましたが、高島忠夫・寿美花代夫妻も、自分たちの年齢を考えて、人生の総括をしたいと思ったのでしょうか。
寿美花代 長男殺害事件涙で語る「今もお風呂は入れない…」
デイリースポーツ 6月18日(火)20時52分配信
 俳優の高島忠夫が5年ぶりにテレビ出演することでも話題を集めていたフジテレビ系「独占密着!真実の高島ファミリー『忠夫さん、死ぬまで一緒やで』~寿美花代 献身愛で闘う夫の病~」が18日、放送された。49年前の長男殺害事件について、高島の妻で女優の寿美花代が、自らの口で語り、今も事件の後遺症に苦しみ続けていることなどを明かした。
 夫妻の第1子となる長男・道夫ちゃんが生後5カ月で殺害されたのは、1964年(昭和39年)8月24日未明。住み込みで働いていたお手伝いの少女A(当時17歳)が風呂に沈めて殺害。当初は室内を物色されたように装うなど、窃盗の仕業に偽装したが、同日昼ごろ、犯行を自供した。
 寿美はこの事件を振り返り、「夜中に(お手伝いさんが)『道夫がどこでもいない』ってことになって、探し回った。一番最後にお風呂を…フタを明けたら、道夫がいた…。(道夫の周りに)泡がいっぱい出てて…」と生々しい状況を告白。「夜中2時すぎぐらいで、あちこち病院行ったけど、どこも受け入れてくれなくて。やっと1軒受けてくれた時には…」と声を震わせた。
 出産後も女優業を続けていた寿美は、夜はAに子守りを頼んでいた。今も、手帳の奥に道夫ちゃんの写真をしのばせている寿美は、「私が一緒に寝てやらんかったから…。忠夫にそっくりでね…。なんで殺されなあかんかったのか、分からないんですけど…」と涙ぐみながら、後悔の念を吐露。「いまだに、お風呂っていうとシャワーしか浴びれない…」と事件から49年たった今も苦しみ続けていることを明かした。
 また、事件後には、赤ちゃんの泣き声や、「ママー、苦しいよ」といういたずら電話が頻繁にかかってきて、さらに苦しめられたという。(以下略)

ネット掲示板では、例によって「死」ももてあそぶ書き込みがありました。美元と結び付けるとか

が、その中で、「高島夫妻は金もあって有名人として生きた人生だから、そんなに不幸せではないだろう」というような書き込みがいくつかあったのは、ちょっと気になりました。

たぶん、ネタとして入れたわけではなく、まじめな書き込みだったと思ったからです。たとえばこんな感じで……
元からボンボンでスーパスターになって
宝塚のトップスターになって
仕事にも恵まれ続けて、金には一切困らず
優秀な息子2人にも恵まれて

これのどこが不幸なんだよ?w
そら長男の件は非常に残念だと思うが
昔は子供が夭折するのは珍しいことではなかったからな

みんなが「可哀そう」の大合唱をしているときに、こういうことを書きたくなる気持ちはよくわかります。

ひとつの意見に偏るって、怖いことですから。

違う意見はすごく貴重です。勇気もあると思います。

ただ、存在意義と、その内容の評価はまた別なんですね。

上記の意見は、書き込む勇気や発想はともかくとして、内容は「違うだろう」と私は思います。

ボンボンだろうが宝塚のトップスターだろうが、金があろうが、そのあと子供が生まれようが、「子供が殺害された」という事実の受け止め方を変えなければならない根拠にはならないでしょう。

そもそも人生の評価って、「恵まれていることと」と「災難」を点数化して差引したり相殺したりして、その「計算」結果で人生が幸せかどうかを判定するものでもないでしょう。

そういう「合理的」な評価の仕方というのは、百点満点の試験における各科目の合計で順位を決められ、偏差値を計算されてきた、現代人が刷り込まれた悪しき思考法のひとつだと思います。

人生そのもののが幸せか不幸せかは、本人が自らの価値観で判断すればいいことです。

第三者は、「殺害」という客観的に容認できない出来事を憎み、その再発防止にかみ合うモラルを心得たり実践したりすることではないでしょうか。

中には、17歳のお手伝いさんに子供の面倒を見させた、寿美花代を責める書き込みもありました。

が、お子さんは事故で亡くなったのではなく殺されたのですから、17歳だろうが38歳だろうが、子育ての経験があろうがなかろうが、そこが問われるべき点でもないでしょう。

寿美花代の「今もお風呂は入れない…」という話。心中察するにあまりある、とはこういうときに使う表現なんでしょうね。

おそらく、お風呂が発見場所だったというだけでなく、今までの生活から何かをやめることをもって、亡くなったお子さんへの贖罪の気持ちというか、けじめをつけているという意味もあるのではないかと私は思いました。

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今までの生活から何かをやめる贖罪


それに比べるとちっぽけなことなんですが、私も2年前の不慮の火災以来、生涯酒は飲まないと決めています。

別に飲酒と火災は何の関係もないのですが、自分の生活にけじめをつけようと思ったのです。

酒を断つということは酒席から遠ざかるということですから、人間関係にも影響を与えます。

そこで人脈がゼロになっても、人生再スタートなんだからそれでいいだろう、と腹をくくってます。

私の火災は死人が出なかったので、大したことない、と思う人がいるようですが、高島忠夫・寿美花代夫妻への評価と同じで、不幸かどうかはその人の価値観の問題なのです。

もちろん、それは自分だけの話。心肺停止した妻は今晩も晩酌をしています。「あんまり無理したら体に悪いわよ」だって(笑)。

酒は飲まない方が健康にはいいんじゃないかと思うんですけどね。

ままならぬ人生だからこそ―かく生きて、かく死ぬ

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  • 作者: 高島 忠夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1995/03
  • メディア: 単行本


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