布川敏和が電車と衝突事故、思い出した「1000万円闘争」報道 [芸能]
布川敏和が12日、東急多摩川線下丸子の踏切で、乗っていたタクシーと電車の衝突で怪我をしたことがニュースになりました。
報道によると、タクシーは遮断機が下りていたのに、運転手が「遮断機が下りているのに気付かず踏切に侵入してしまった」ことで、蒲田発多摩川行の電車の左側面に衝突。布川敏和と同乗していた知人女性2人の計3人が首や腰に軽いけがをし、病院に運ばれたといいます。
現場は「片側1車線の都道」。ここは、都道311号(環状八号線)と多摩川にかかるガス橋と神奈川県道111号大田神奈川線をつなぐ道路のことです。
モノ好きなので撮影に行ってきましたが、タクシーの前部と電車の車両がぶつかっただけで周辺に被害はなかったので、事故があったようには見えません。
布川敏和は、「命があっただけでも、不幸中の幸い」とコメントしています。
報道では「軽傷」となっているので、「何を大げさな」と思う人もいるかもしれませんが、大惨事になるかどうかはほんのちょっとしたタイミングの違いです。
タクシーが、わずか3両の電車の横っ腹に突っ込んだのですから、タクシー前部の損傷だけで済んだのはたしかに「不幸中の幸い」だと思います。
さて、布川敏和といえば元シブがき隊。1986年6月1日には、そのシブがき隊の20枚目のシングル『飛んで火に入る夏の令嬢』がリリースされています。
シブがき隊は、布川敏和(フックン)、本木雅弘(モックン)、薬丸裕英(ヤックン)の3名によるグループ。81年に放送されたTBSのドラマ『2年B組仙八先生』に出演した、ジャニーズ事務所タレント4名のうち1名が抜けて結成されました。
82年5月5日、『NAI-NAI16(シックスティーン)』でデビュー以来、88年11月2日に解散ならぬ「解隊」するまで、シングル28枚、アルバム13枚をリリースしました。
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本木雅弘は内田裕也・樹木希林の長女であるエッセイストの内田也哉子と結婚。布川敏和は元歌手のつちやかおり、長男は07年10月に『3年B組金八先生』第8シリーズで俳優デビューした俳優の布川隼汰。薬丸裕英は元歌手の石川秀美と結婚。長男は薬丸翔です。
彼らの歌は、当て字や語呂合わせ、韻を踏むなど、タイトル、歌詞ともに言葉を上手に遊ぶものが多かったのですが、今回のタイトルはことわざの「飛んで火に入る夏の」を使っているものの、比較的ナチュラルな歌詞に仕上がっています。
これまでのヤンチャ、悪ガキ路線から大人へのイメージ転換ををはかっている歌だったのでしょう。
森雪之丞(作詞)、売野雅勇(作曲)、中村哲(編曲)らの作家陣はいずれもシプがき隊の作品を手がけているおなじみメンバーです。
ところで、当時のシブがき隊には、こうした華やかな芸能活動の陰で、「1000万円闘争」という“労働争議”が行われていたと一部のメディアが報じたことがあります。
文字通り、自分たちの報酬を1000万円に引き上げる交渉です。
80年代で1000万円というのは、彼らのセールスを考えればむしろ控えめに感じますが、ジャニーズタレントは当時、薄給であることが、ジャニーズやフォーリーブスのメンバーの暴露によって明らかになっていました。
結果として、その交渉がどうなったかはわかりません。
が、その後、所属タレントでは生涯セールスがもっとも多いであろうといわれるSMAPの木村拓哉が独立騒動によって報酬アップに成功し、他のタレントも薄給を脱したといわれています。
シブがき隊の「1000万円闘争」は、木村拓哉が突破するその道筋を掃き清める役割を果たしたのかもしれません。
報道によると、タクシーは遮断機が下りていたのに、運転手が「遮断機が下りているのに気付かず踏切に侵入してしまった」ことで、蒲田発多摩川行の電車の左側面に衝突。布川敏和と同乗していた知人女性2人の計3人が首や腰に軽いけがをし、病院に運ばれたといいます。
現場は「片側1車線の都道」。ここは、都道311号(環状八号線)と多摩川にかかるガス橋と神奈川県道111号大田神奈川線をつなぐ道路のことです。
モノ好きなので撮影に行ってきましたが、タクシーの前部と電車の車両がぶつかっただけで周辺に被害はなかったので、事故があったようには見えません。
布川敏和は、「命があっただけでも、不幸中の幸い」とコメントしています。
報道では「軽傷」となっているので、「何を大げさな」と思う人もいるかもしれませんが、大惨事になるかどうかはほんのちょっとしたタイミングの違いです。
タクシーが、わずか3両の電車の横っ腹に突っ込んだのですから、タクシー前部の損傷だけで済んだのはたしかに「不幸中の幸い」だと思います。
さて、布川敏和といえば元シブがき隊。1986年6月1日には、そのシブがき隊の20枚目のシングル『飛んで火に入る夏の令嬢』がリリースされています。
シブがき隊は、布川敏和(フックン)、本木雅弘(モックン)、薬丸裕英(ヤックン)の3名によるグループ。81年に放送されたTBSのドラマ『2年B組仙八先生』に出演した、ジャニーズ事務所タレント4名のうち1名が抜けて結成されました。
82年5月5日、『NAI-NAI16(シックスティーン)』でデビュー以来、88年11月2日に解散ならぬ「解隊」するまで、シングル28枚、アルバム13枚をリリースしました。
本木雅弘は内田裕也・樹木希林の長女であるエッセイストの内田也哉子と結婚。布川敏和は元歌手のつちやかおり、長男は07年10月に『3年B組金八先生』第8シリーズで俳優デビューした俳優の布川隼汰。薬丸裕英は元歌手の石川秀美と結婚。長男は薬丸翔です。
彼らの歌は、当て字や語呂合わせ、韻を踏むなど、タイトル、歌詞ともに言葉を上手に遊ぶものが多かったのですが、今回のタイトルはことわざの「飛んで火に入る夏の」を使っているものの、比較的ナチュラルな歌詞に仕上がっています。
これまでのヤンチャ、悪ガキ路線から大人へのイメージ転換ををはかっている歌だったのでしょう。
森雪之丞(作詞)、売野雅勇(作曲)、中村哲(編曲)らの作家陣はいずれもシプがき隊の作品を手がけているおなじみメンバーです。
ところで、当時のシブがき隊には、こうした華やかな芸能活動の陰で、「1000万円闘争」という“労働争議”が行われていたと一部のメディアが報じたことがあります。
文字通り、自分たちの報酬を1000万円に引き上げる交渉です。
80年代で1000万円というのは、彼らのセールスを考えればむしろ控えめに感じますが、ジャニーズタレントは当時、薄給であることが、ジャニーズやフォーリーブスのメンバーの暴露によって明らかになっていました。
結果として、その交渉がどうなったかはわかりません。
が、その後、所属タレントでは生涯セールスがもっとも多いであろうといわれるSMAPの木村拓哉が独立騒動によって報酬アップに成功し、他のタレントも薄給を脱したといわれています。
シブがき隊の「1000万円闘争」は、木村拓哉が突破するその道筋を掃き清める役割を果たしたのかもしれません。
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