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ピンク・レディー『渚のシンドバッド』を巡るパブリシティ権訴訟 [芸能]

ピンク・レディーといえば、史上第1位のレコードセールスを誇る、持ち歌の題名通り歌謡界の“モンスター”でしたが、その4枚目のシングル『渚のシンドバッド』がリリースされたのが、1977年の6月10日でした。

渚のシンドバッド

ピンク・レディーって誰? という世代も増えてきていると思いますから一通りご説明いたしますが、中学、高校で同級生だった根本美鶴代と増田恵子が、歌手を目指して常葉高校(現・常葉学園高校)時代にクッキーというデュオを結成。

74年のポプコン東海地区大会決勝に進出し、『スター誕生!』第16回決戦大会(76年2月18日)では、最優秀賞(グランドチャンピオン)こそ清水由貴子に譲ったものの、14社からスカウトのプラカードが上がり合格。高校卒業後の76年8月25日に『ペッパー警部』で待望のプロデビューしました。

派手で露出の多い衣装に、太ももを開くなど大胆な振り付けでたちまち人気者になってオリコン4位。以後は『S・O・S』(76年11月25日)『カルメン'77』(77年3月10日)、そしてこの『渚のシンドバッド』と3作連続でオリコンチャート1位を獲得しました。

以後も10曲目の『カメレオン・アーミー』(78年12月5日)までオリコン1位は続き、そのうち『モンスター』まではミリオンセラー(100万枚超)に到達しています。

その間の作家は、すべて阿久悠と都倉俊一の鉄壁スタ誕コンビ。12枚目の『ピンク・タイフーン』(79年5月1日)から別の作家にかわりますが、路線の転換など難しい時期であることも重なって、その頃からセールスもめっきり下降線をたどり、結局実働3年半でいったん解散しました。

今回の『渚のシンドバッド』については、オリコン史上初のミリオン・セラーになりましたが、この曲はのちに別の形で取りざたされることになりました。

『女性自身』が2007年2月27日号に掲載した、「ピンク・レディーdeダイエット」と題する3ページの特集記事で、『ペッパー警部』『UFO』『渚のシンドバッド』『ウォンテッド』『カルメン77』など5つの楽曲におけるピンク・レディーが写る写真14枚の振り付け写真を未承諾で利用したことについて、ピンク・レディー側がパブリシティ権という排他的権利を侵害されたとして計372万円の賠償を求た訴訟を起こしたのです。

要するに、ピンク・レディーの振り付け写真には商品価値があるのだから、ピンク・レディー以外の者が勝手に使ってはならない、ということを主張したわけです。

これは最高裁まで争われ、結局ピンク・レディー側が敗訴しました。

といっても、パブリシティ権自体が認められなかったわけではありません。むしろ、「判決はパブリシティー権について『商品販売で顧客を引き付ける力を排他的に利用する権利』との初判断を示し」(スポニチアネックス 2月2日11時6分配信)た画期的なものでした。

ただ、『女性自身』のダイエット記事は、目的が、「同じ振り付けで踊るダイエット法を勧める内容で、写真も振り付けの記憶喚起のためにすぎない」ものであり、「2人が社会的に著名となっていく過程で一定程度許容しなければならない範囲を超えて権利が侵害されたとはいえない」(最高裁)という判決だったのです。

つまり、記事に独自の論評、論考があり、そのビジュアル的な補完として必要な場合にのみ認められるものであり、写真を集めただけの事務所非公認写真集や、既存の作品そのものがモチーフとなるような発表の仕方は認められないという判例になったわけです。

もちろん、個人ブログならいいじゃないか、という言い分もNGということです。

その意味では、ピンク・レディー側の敗訴ではありましたが、権利の確立という点では、今後につながったものだと思います。

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