大西結花が昨年9月、17歳年下の一般男性と結婚して話題になりました。スケバン刑事の「風間三姉妹」がこれで全員片付いたとマスコミは書いたものです。大西結花といえば、失踪した元事務所社長のために借金返済した日々を抜きにしては語れません。
先日、亡くなったサンミュージック・相沢秀禎会長は、「娘のようにタレント育てた」にもかかわらず、
不肖の娘たちばかりだという記事をこのブログでも書きましたが、同じ「父娘」でも大西結花の社長は、対照的に「子不孝」者でした。
13年前の6月19日、こんなベタ記事の芸能ニュースが掲載されています。
タレント大西結花(31)がまた金銭トラブルに見舞われた。今年3月に出版した大西のヘアヌード写真集「遠野 冬」(宙出版刊)をめぐり、大西の所属事務所が同写真集をプロデュースしたモッツ・コーポレーション(高須基仁社長)に対し、出演料の残金約580万円を求める訴訟を東京地裁に起こしたことが19日までに分かった。(2000年6月20日『日刊スポーツ』から)
「また」というのは、このニュースの前にも、というよりこのトラブルの原因として、所属事務所の倒産・社長失踪に伴い、大西結花がその負債を肩代わりさせられたからです。
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この事件はもともと1998年9月、大西結花が所属していた「マコロン」の社長が約1億円の借金を踏み倒して失踪したことから始まりました。
事務所はその後不渡りを出し倒産。社長の抱える債務のうち1000万円は大西結花の両親が連帯保証人となっていました。
さらに会社名義のポルシェのローンも残っており、それらの返済を大西結花の家族が背負わされることになったのです。
10月になると、大西結花の自宅に債権者が押しかけるようになります。大西結花は身の危険を感じ、友人宅に身を寄せることになります。気の毒としか言いようがありませんが、大西結花は会見で健気に社長をかばいつづけました。
「ここまでにしてくれたのは社長のおかげ。憎んだりはしていない。“ダメだったよ”と素直に笑って出てきてほしい」(『日刊スポーツ』1998年11月10日付)
被害者として社長を訴えてもおかしくない状況の下、大西結花がそれをしなかったのは、2人が男女の関係にあったからではないかと勘繰ったメディアもありました。
15歳でデビューし、上京した大西結花を自宅に住み込みをさせながら面倒をみてきたのは社長でした。
一時期、大西結花は社長の養女となっていたこともあります。
「5年ほど前に××社長が世田谷区成城に購入した高級マンションで2人は同居、夫婦同然の生活を送ってきている。今回の借金の連帯保証人に彼女も名を連ねているし、××社長が加入する生命保険の死亡時の受取人に大西がなっている。まさに一心同体の仲といっていいでしょう」(『日刊ゲンダイ』1999年1月6日付で芸能ライター・新藤興二氏)
「夫婦同然」かどうかはわかませんが、少なくとも「親子」ではあったわけです。いずれにしても相当親密な関係にあったことは間違いありませんでした。
そこまで大西結花が慕う社長はその後も行方がわからず、彼女は押しつけられた借金を払い続けることに。
しかし、その後、借金を払うために引き受けたヘアヌード写真集『遠野 冬』も、モッツ・コーポレーションからは1000万円の約束のうち420万円しか払ってもらえず、冒頭の裁判になったわけです。
大西結花は、失踪した社長に割り切った態度をとれなかったわけですが、こんな義理堅い娘が、もしサン・ミュージック所属だったらどうなのだろう、なんてつい考えてしまいました。
同じ芸能人でも、所属する事務所によって、その後の芸能生活は大きく変わってしまうものですね。
私がアイドルだった頃
- 作者: 長谷川晶一
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2012/08/24
- メディア: 単行本
2013-06-01 16:27
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