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『「医療否定」は患者にとって幸せか』、コメントにお答えします [健康]

『「医療否定」は患者にとって幸せか』のレビュー(昨日の記事)についてコメントありがとうございました。例によって私の記事の書き方にこなれないところがあったらしく、「がんもどき」論の信奉者の方々を刺激してしまったようです。書籍は、近藤誠氏だけをターゲットにしたものではありません! 「病院には行くな」とか「抗がん剤は使うな」といった医療否定の潮流全体が対象です。コメントに目を通させていただきました。それについて私の意見を書きたいので、久しぶりに2日連続で同じテーマをお許しください。

「医療否定」は患者にとって幸せか
こうした議論になると、「医療否定」について、賛成派、反対派というくくり方をして、どちらに入るか、どちらが正しいかというもののいい方をする場合があるのですが、少なくとも私の記事の意図はそうではありません。

がん治療というのは、早期発見してもむずかしいといわれているものもあるし、ステージや治療法によっては誰にでも適応あり、とは限りません。たとえば今の医学なら、肺小細胞癌と、大腸に内視鏡を突っ込んで切除する「大腸がん」とでは予後が全く違います。

つまり治療をするかどうかは、患者の部位やステージで全く話が変わってきますから、ひとくくりに賛成か反対か、という話などできるはずがありません。ケース・バイ・ケースです。

ただ、悔いのない判断をするには、まず合理的な根拠があるかどうか、今の医学で分かっていることを確認する作業は必要だろうということです。それもせずに「治療しない」と決めつけるのはやはり賛成できません。

それからドクハラとか、医師が不親切で説明不足という問題もしばしば取りざたされるのですが、それはすでに書いたように私も経験があるので理解できることです。

ただ、ケースによっては患者側の問題点もないとはいえないので、賛成かと言われれば留保を付けたい事柄です。

医師は多くの患者を担当しています。マンツーマンではないのです。
家族が患者の病気を勉強して、患者の変化をきちんと見ておくことも必要です。

すべてを病院におんぶに抱っこ、何かあったら全部医師や病院のせい。
それでは、教育現場のモンスターなんとかと同じです。

私は火災で子供たちがICUに担ぎ込まれたとき、日々、舌の動きまで観察して記録して変化を把握していました。

残念ながら、国立病院の権威あるエリート医師たちは、そこまで見てくれませんでした。

そりゃ、国立のくせに、いばってるくせになんだかなあとは思いましたけど、しょせん医師も人間です。

できることは限られています。

彼らの能力が及ばないのなら、家族である自分ができることはやるまでだ、と私は前向きに考えました。

ドクターショッピングではいけませんが
セカンドオピニオンは今の時代は何も後ろめたいことではありません。

私は子供たちがICUのときにすでに、遷延性意識障害からの回復例を発表している全国の病院に一件一件かけあって相談と治療のお願いをしていました。

「がん」の経験ですと、私の肉親が10年前に悪性リンパ腫をやっているのですが、そのときは、現在使われているリツキサンという分子標的治療薬的なものがまだ一部にしか使われてなかったので、私から医師に申し出ました。

抗がん剤を何クールするか、放射線をどうするか、といったことも、私の方で5年生存率を調べて医師の方に提案や質問をしました。もちろん、出過ぎた発言のないよう最大限の注意を払いながら……

それ以外にも、状態を次々質問や報告していったので、医師も私を信頼(それとも警戒?)してくれました。

医師の人間性も様々ですから、これも一概には言えませんが、こちらからはたらきかけて、自分と医師との間に、信頼とちょっぴり緊張の関係を作ることも必要ではないでしょうか。

医師との良好な(いいなりではない)関係を作る、ということは患者(やその家族)の側にも責任というかはたらきかけるべきことだと思います。繰り返しますが医師も私たちと同じ人間なのです。

同書では、患者側がそうしたことをしないで一方的に頼っている「怠慢」も嘆いているのです。

ただ私は、一方の当事者である医師がそれを言うことは、患者側に責任を押しつけるものになりかねないので、昨日は「落胆」という言葉を使って批判的な感想としたのです。

それから、医療の恩恵にあずかれなかった(予後が悪い、亡くなった)方は医療を否定し、生還された方は医療を認める。こういう経験に基づいた「感情論」は仕方ないと思います。かけがえのない方の命というのはそれだけ重いのです。よくわかります。が、私はあえて、

自分は恩恵にあずかれなくても、社会的に価値があることは尊重する

というきれい事を、自分の結論としています。
きれい事と書きましたが、それは自分のためでもあると思っています。

私も両親、祖母、叔父、叔母、伯母、義弟が、白血病を含む「がん」を経験し、それが原因で亡くなっている人もいます。

でも、がんを作ったのは病院ではないので、病院や医療を逆恨みする気も頭から否定する気も全くありません。

それどころか、病院には逆に助けてもらうことだってありうると思っています。

げんに私の妻は、癒着胎盤と一酸化酸素中毒による心肺停止と、2度も命を落としているはずなのに医療に救われました。

医療を逆恨みして否定していたら、そういう恩恵にもあずかれません。
もちろん、悪い点が事実としてあれば指摘するのはいいのですが、建設的な提案ならともかく、
怨念で否定していても何も生み出さないと思うのです。

気にくわないこと、つらいことがあると恨んで避ける。それでは何も解決しません。

ではどう付き合ったらいいのかを考えるという前向きな発想を持ってもいいのではないかと私は考えます。

医療だろうが人間関係だろうが、その点は同じことだと思います。

もちろん、それは私の脳内の結論であって、みなさんに押しつけるつもりはありません。

ただし、合理的根拠の整わない宗教めいた医療否定で襲いかかられても、私は容認しがたいということです。

「医療否定」は患者にとって幸せか(祥伝社新書)

「医療否定」は患者にとって幸せか(祥伝社新書)

  • 作者: 村田 幸生
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2012/12/03
  • メディア: 新書


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