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コメント削除が正解ということもある [社会]

今日は気が変わったので、So-netブログにおける昨日の経験について私の考えを交えて書きます。

ある方のブログで、その方の執筆意図を踏みにじるコメントがつけられたとのことで、名指しでそのコメント者を非難し、絶縁を意味する突き放した書き方をした記事を拝見しました。

そこにどういう意図や言い分があろうが、私は前代未聞のそのような記事に、自分のことでなくともうろたえました。大変なショックを受けました。

率直に申し上げると、それは「極道の絶縁状」とイメージが重なりました。

コメント者が、So-netブログをやめたくなってしまったとしても無理はありません。

私も「明日はわが身か」と思いましたもの。

いえ、決してそれは他人事ではありませんでした。

偶然、同じ日に自らの不用意なコメントに報いが来る経験をしたのです。

私がある方の記事にふざけが過ぎたコメントを書いたのですが、ブログ主の方は真剣に私を非難するコメントをつけられました。

私の場合は、ブログ主の非難自体はもっともだと思います。コメントに対して弁解はしません。この場を借りてお詫びいたします。申し訳ございませんでした。

ただ、いずれも、私の意見を述べさせていただくなら、「ふさわしくないコメントはさりげなく削除し、それでも気持ちが収まらなければ個人的に注意すればすむことだろう」と思いました。

「オマエだってこうやって記事に晒しているじゃないか」
といわれる方もおられるでしょうが、

コメント削除と個人的なやりとりで済ませておけば、
第三者の知らないところで解決できたはずで、それなら
もちろん何も申し上げることはありません。

しかし、記事として不特定多数に晒している以上、
それは逆に他者の論評を受ける試練も当然甘受すべきです。

不適切なコメントであっても、同じブログサービス内でブログを構え、長く閲覧常連者である人なら、通常悪意ということはないでしょう。

さすれば、相手の言い分を聞いたうえで、齟齬を確認して自分の意図を伝え、お互いのために今回のコメントは削除することを告げる、という段取りを踏めば、そのようなものものしいことにはならず、“雨降って地固まる”になったはずです。

コメント者の落ち度を、不特定多数に晒すというのは、自分のふまんまやるかたない感情を大衆に示して正当化したい本音があるからではないのか……。

読み手が誤解したり間違ったりするのは、伝える側にも問題がある……かもしれない、と疑う慎重さがあってもよかったのではないでしょうか。

人間は間違いうるもの、というのは、私のもっとも基本的な人生観、人間観です。

と、エラソーなことを書いているものの、私も、コメントを削除する、というのは、最近まで閉鎖的で後ろ向きな行為だと思っていました。

よくブログや掲示板で、「ふさわしくないと判断したコメントは管理者の権限で削除することがあります」って断りがありますよね。

私は、恥ずかしながらそれをずっと理解できなかった。

「ふさわしくないコメントには、それを諌めるコメントで対抗したほうが決着もつくし、他の閲覧者にもわかりやすくていいだろう」なんて単純に思っていました。

でも、このSo-netブログで、コメントを含めたみなさんのブログを拝見していくうち、だんだんわかってきたのです。

コメントは「外敵」じゃないんだ、ということを。

ともに盛り上げていく仲間としての扱いをすべきだろうと。

つまり、削除することには積極的な意味がある、という簡単なことをやっと理解できたのです。

私も、気分や読解力などの事情で、みなさんにはピントはずれだったり不快だったりするコメントを入れてしまうかもしれませんが、そのときはいきなり絶縁状を公開しないで、私を諭してください。

いずれにしても、私としては、反省の気持ちから、しばらくみなさんのブログにはnice!だけをつけさせていただき、コメントは自粛します。よろしくお願いします。

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