野村克也氏の「弱者の戦法」 [スポーツ]
きょうはプロ野球の戦後史。ということで、戦後史上初の三冠王、そしてプロ野球史上初の捕手と監督でそれぞれ3000試合出場という偉業を成し遂げた野村克也氏の「プロ野球重大事件」(角川文庫)を読んでみました。
野村克也氏の著書はすでに多数出ており、この書は、それらから再構成している箇所が多いようです。
が、清武英利氏の暴露事件、横浜DeNAの誕生など、最近のプロ野球を取り巻くニュースについての話も入っているので、野村克也氏の著書のファンなら改めて読んでおいたほうがいいでしょう。
野村克也監督について語るには、いくら一ファンのブログでも、ひとつやふたつの記事では足りません。
そこで今回は一点だけ述べますが、野村克也監督の真骨頂は、「弱者の戦法」を標榜していることだと思います。
「来た球を打つ」で通用するのは、王貞治さんや長嶋茂雄さんだから。
三流選手は、来た球を漫然と打ってもヒットにはなりません。
そこで野村克也監督は、カウントごとの打者・投手・捕手、さらには守る野手の心理や配球を読み、三流打者でも一流投手を打てることを見込める戦法を追求しました。
そして、弱いチームが強いチームに勝つには、やはり漫然と戦っていてもかなわない。そこで野村克也監督は、かつての新左翼のスローガンではありませんが、「一点突破の全面展開」で活路を見出しました。
2シーズン制だった73年。南海ホークスは激戦の前期を優勝すると、後期は無敵の阪急ブレーブス相手に全敗して「死んだふり」をしながら相手観察。プレーオフの最終戦で阪急を破ってリーグ優勝を遂げています。
一見奇をてらっただけのようで、実は機知に富んだ戦い方。弱い者が強い者に勝つには頭を使わなければならない。野球は頭でするものだ、というのが野村克也監督の持論です。
ですが、嫉妬もあったとは思いますが、そんな野村克也監督に対して必ずしも高い評価をしていない人もいます。
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たとえば、球界でも理論家として知られ、野村克也監督同様4回チームを優勝させた広岡達朗氏は、野村克也監督の野球を「キセル野球」とさげすみました。
自動改札機の現代では死語になりましたが、キセルとは、中が抜けている。つまり本来はそこまで行けないはずの運賃で、目的地にたどり着いてしまうことをさします。
野村克也監督が4回も優勝したのは、本来優勝できない戦力なのに、「キセル」して優勝にたどりついたというわけです。ずいぶんな言い方です。
戦力のあるチームが、すべき練習をきちんとクリアして優勝する、という“あたりまえすぎる野球観”をもつ広岡達朗氏にとって、弱い者が相手の戦法を読んでそれを打倒するという野村克也監督のやり方は、三流選手の分際で一流選手に“間違って”勝てる、ずるくてセコいやり方と感じたのでしょう。
しかし、広岡達朗氏が指揮を取って優勝したときのヤクルトスワローズや西武ライオンズは戦力的に優勝可能な状態にあったからであり、「弱者の戦法」をとる必要がなかったからそんなことがいえるわけです。
弱いチームを率いていたら、野村克也監督のように弱いなりの戦い方を考えていたでしょうし、またそうでなければ監督失格です。
三流選手が、ルールの範囲でいろいろな工夫をして、一流選手に勝ってもいいではありませんか。
阪神や楽天の監督時代、野村克也監督の「選手をケナして育てる」というやり方が、今の若い選手に理解されず成績につながってこない、という指摘をしたマスコミもありました。
しかし、野村克也氏がユニフォームを脱いだ今、それはごく限られた選手であったこともわかってきました。
たとえば、つい最近まで、野村克也監督のもとでプレーしていた門田博光氏が、「日刊ゲンダイ」で現役時代を振り返る連載をしていました。
門田博光氏はその中で野村克也監督について、「おっさん(野村克也監督)は勝てば自分の手柄、負ければ選手のせい」などと野村克也監督のたな卸しをしていたので、当時いわれていた「不仲」は本当だったのか、と思いながら読んでいたところ、最後に、「でももし若返ってユニフォームを着ることができたら、またおっさんと野球がやりたいな」と結んでいました。
門田博光氏は、あえて野村克也氏の悪口をいうことで、マスコミが書いている野村克也氏の欠点がたとえ事実であっても、そんなことに関係なく私は野球人として野村克也氏を認めるのだ、ということがいいたかったのだと思います。
野村克也監督については、野球ファンの間でも毀誉褒貶ありますし、自分の息子を贔屓するなど、批判されても仕方ないところもあります。
が、私は「弱者の戦法」という野村克也監督の野球がいつも気になって仕方ありませんでした。
私も自分のことを見つめなおすと、いや別に改めてそんなことをしなくても、十分「弱者」です。家柄も資産も学歴も特技も資格も、そして人格も他人様に誇れるものはありません。
そんな自分が、この厳しい世の中を生きていくためには、「弱者の戦法」を意識していかなければなりません。
野村克也監督のように頭を使っていないので不遇な日々を過ごしてはいますが、いつかはきっと、という前向きな気持ちにさせてくれるのが「弱者の戦法」というフレーズなのです。
野村克也氏の著書はすでに多数出ており、この書は、それらから再構成している箇所が多いようです。
が、清武英利氏の暴露事件、横浜DeNAの誕生など、最近のプロ野球を取り巻くニュースについての話も入っているので、野村克也氏の著書のファンなら改めて読んでおいたほうがいいでしょう。
野村克也監督について語るには、いくら一ファンのブログでも、ひとつやふたつの記事では足りません。
そこで今回は一点だけ述べますが、野村克也監督の真骨頂は、「弱者の戦法」を標榜していることだと思います。
「来た球を打つ」で通用するのは、王貞治さんや長嶋茂雄さんだから。
三流選手は、来た球を漫然と打ってもヒットにはなりません。
そこで野村克也監督は、カウントごとの打者・投手・捕手、さらには守る野手の心理や配球を読み、三流打者でも一流投手を打てることを見込める戦法を追求しました。
そして、弱いチームが強いチームに勝つには、やはり漫然と戦っていてもかなわない。そこで野村克也監督は、かつての新左翼のスローガンではありませんが、「一点突破の全面展開」で活路を見出しました。
2シーズン制だった73年。南海ホークスは激戦の前期を優勝すると、後期は無敵の阪急ブレーブス相手に全敗して「死んだふり」をしながら相手観察。プレーオフの最終戦で阪急を破ってリーグ優勝を遂げています。
一見奇をてらっただけのようで、実は機知に富んだ戦い方。弱い者が強い者に勝つには頭を使わなければならない。野球は頭でするものだ、というのが野村克也監督の持論です。
ですが、嫉妬もあったとは思いますが、そんな野村克也監督に対して必ずしも高い評価をしていない人もいます。
たとえば、球界でも理論家として知られ、野村克也監督同様4回チームを優勝させた広岡達朗氏は、野村克也監督の野球を「キセル野球」とさげすみました。
自動改札機の現代では死語になりましたが、キセルとは、中が抜けている。つまり本来はそこまで行けないはずの運賃で、目的地にたどり着いてしまうことをさします。
野村克也監督が4回も優勝したのは、本来優勝できない戦力なのに、「キセル」して優勝にたどりついたというわけです。ずいぶんな言い方です。
戦力のあるチームが、すべき練習をきちんとクリアして優勝する、という“あたりまえすぎる野球観”をもつ広岡達朗氏にとって、弱い者が相手の戦法を読んでそれを打倒するという野村克也監督のやり方は、三流選手の分際で一流選手に“間違って”勝てる、ずるくてセコいやり方と感じたのでしょう。
しかし、広岡達朗氏が指揮を取って優勝したときのヤクルトスワローズや西武ライオンズは戦力的に優勝可能な状態にあったからであり、「弱者の戦法」をとる必要がなかったからそんなことがいえるわけです。
弱いチームを率いていたら、野村克也監督のように弱いなりの戦い方を考えていたでしょうし、またそうでなければ監督失格です。
三流選手が、ルールの範囲でいろいろな工夫をして、一流選手に勝ってもいいではありませんか。
阪神や楽天の監督時代、野村克也監督の「選手をケナして育てる」というやり方が、今の若い選手に理解されず成績につながってこない、という指摘をしたマスコミもありました。
しかし、野村克也氏がユニフォームを脱いだ今、それはごく限られた選手であったこともわかってきました。
たとえば、つい最近まで、野村克也監督のもとでプレーしていた門田博光氏が、「日刊ゲンダイ」で現役時代を振り返る連載をしていました。
門田博光氏はその中で野村克也監督について、「おっさん(野村克也監督)は勝てば自分の手柄、負ければ選手のせい」などと野村克也監督のたな卸しをしていたので、当時いわれていた「不仲」は本当だったのか、と思いながら読んでいたところ、最後に、「でももし若返ってユニフォームを着ることができたら、またおっさんと野球がやりたいな」と結んでいました。
門田博光氏は、あえて野村克也氏の悪口をいうことで、マスコミが書いている野村克也氏の欠点がたとえ事実であっても、そんなことに関係なく私は野球人として野村克也氏を認めるのだ、ということがいいたかったのだと思います。
野村克也監督については、野球ファンの間でも毀誉褒貶ありますし、自分の息子を贔屓するなど、批判されても仕方ないところもあります。
が、私は「弱者の戦法」という野村克也監督の野球がいつも気になって仕方ありませんでした。
私も自分のことを見つめなおすと、いや別に改めてそんなことをしなくても、十分「弱者」です。家柄も資産も学歴も特技も資格も、そして人格も他人様に誇れるものはありません。
そんな自分が、この厳しい世の中を生きていくためには、「弱者の戦法」を意識していかなければなりません。
野村克也監督のように頭を使っていないので不遇な日々を過ごしてはいますが、いつかはきっと、という前向きな気持ちにさせてくれるのが「弱者の戦法」というフレーズなのです。
プロ野球重大事件 誰も知らない”あの真相” (角川oneテーマ21)
- 作者: 野村 克也
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2012/02/10
- メディア: 新書
タグ:プロ野球重大事件
強いものにカツにはやっぱり
何かしら戦略があるのでしょうね。
by pandan (2012-08-31 06:30)
野村さんや王さんに長嶋さん等は野球界の偉人ですね。
by 旅爺さん (2012-08-31 14:08)
野村監督の南海現役時代に何度か球場にいったことがあります!(私は阪急ファンでしたが・・・^^;)
監督と選手の両方をこなすなんて凄い!!とずっと思っていました。あのふてぶてしい話し方も結構好きですよ^^
トマトペーストとは、トマトを凝縮したペースト状の調味料で~す^^
by リキマルコ (2012-08-31 15:54)
いっぷく様こんばんは。
拙ブログへのご訪問ありがとうございました。
東北人の私としては、楽天時代の野村監督がいまだに好きです。
「マー君 神の子…」といった名言に独特なコトバのセンスを感じる『知的な野球人』です。
さて、こちらのブログ、このずっしりとした読み応えに感服しております。
今後ともよろしくお願いいたします。
by ヒサト (2012-08-31 21:06)
野球好き何ですね〜〜〜♪^^
野村さん・・・・かなり分析しがいのある人です。(笑)
by hatumi30331 (2012-08-31 22:27)
先日はご訪問&nice! 頂き有難う御座います<(_ _)>
またお邪魔させていただきます。
by inacyan (2012-08-31 22:30)
本当に野村さんの野球観には、ただただ感心するばかりです。
阪神監督時代は色々と批判もありましたが、
後の星野監督時の優勝も野村さんが育てた戦力が
大きく働きましたしね。
データを駆使しながらも無機質さを感じさせない
野村野球は観ていても面白かったです。
逆に広岡野球は、血の通っていない感じが馴染めません。
菜食を選手に強要しながら、自らは痛風になるという
笑い話もありましたが・・・(苦笑)
by 銀狼 (2012-09-01 01:43)
こんばんは~鰻屋さんで35分待ちは、初めての経験でしたが~とても美味しかったので~ありですね(*^^)v
素敵な土曜日をお過ごしくださいませ
~おやすみなさい(^^♪
麻里圭子
by 麻里圭子 (2012-09-01 03:38)
こんにちは
野村克也の野球はいっぷくさんの言うとおり
”気になる”という表現がぴったりだと思います。
物事の好嫌や強弱ではなく、
任された現場で限られた人材・環境・スキルを駆使して
結果だけを求めていく。
ともすれば弱者に判官びいきになりがちな日本の文化からは
逆の路線を突っ走っていたのだと思います。
残念ながら自分の子供の頃の南海ホークスは
篭城事件以降の時代でして
それに対して、アンチテーゼだけを残した時代でしたが。
by ダミアン88 (2012-09-01 18:36)
>キセル野球
これは嫉妬でもなんでもなく、広岡さんは本心を述べたのだと思いますよ。
野球界には広岡さんと同じように考えている人が大勢いると思いますが、
野村さんのサディストさながらの「口撃」が怖いし、関わり合いになるのが面倒くさいので、
黙っているだけではないかと思います。
データを詰め込んだり、スパイもどきの手法で打てても、
相手が癖を直したり、変えてきたらさっぱり打てなくなる。それも惨めではないですか。
そんなことに時間を費やすより自分のスイングスピードを上げるために自分で努力する。
野村さんの野球では野村さんの奴隷になるばかりで、その選手自身の個性はどこかに吹っ飛んで
いってしまうのではないですか。
by kukky (2013-07-20 00:05)
広岡氏が嫉妬とは書いていませんよ。
あなたの意見のような人もいるし、門田博光氏のような
意見の人もいるという事でしょう。
by いっぷく (2013-07-20 06:56)