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大原麗子さんの「ご近所記事」訴訟 [芸能]

戦後史上の一面として語るべき事が多い芸能史。その裏側には芸能裁判史ともジャンルもある。

戦後史は民主化の歴史。となれば、裁判もいろいろなものがある。たとえば大原麗子さんの訴訟もその一つだ。

大原麗子さんといえば、多くのテレビドラマにも主演。“好感度No.1”にも上り詰めた女優だ。数々のテレビドラマや映画への出演作品は、今も当時を知るファンの心の中に残っていると思うが、芸能裁判史上にも名を残している。

もともと、判決が出ても少額だった名誉毀損裁判が高騰するきっかけになったのが、大原麗子さんの、いわゆる「大原麗子ご近所トラブル」裁判である。
大原麗子女性誌の記事による名誉棄損裁判に勝訴 東京地裁が賠償命令  女優大原麗子(54)が「近所の住民とトラブルを起こしている」などと報じた週刊誌「女性自身」の記事で名誉を傷つけられたとして、発行元の光文社に5000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は26日、光文社に500万円の支払いを命じた。判決理由で難波孝一裁判長は「著名な女優といえども私生活の平穏は保護されるべきで、私生活を好奇心の対象とすることが許されてよいわけではない」と指摘。「記事には公益目的や真実と認める証拠もなく、大原さんが芸能界で築いたイメージを著しく傷つけた」と述べた。女性自身は昨年3月の合併号に「トラブル続出でご近所大パニックー」などの見出しで、大原の記事を掲載するなどした。 (二〇〇一年二月二七日『日刊スポーツ』から)

大原麗子さんが訴えたのは光文社。同社発行の『女性自身』の記事「何が起きた!? 大原麗子(53)トラブル続出でご近所大パニックー・犬と大ゲンカ! あの女は『雪女』の声!」(2000年3月7・14日合併号)が許せなかったらしい。

記事の内容は、大原麗子さんの「近所の住人や商店主の声」として、
「あの方が買い物に出ることはありません」 
「日に当たると溶けてしまう“雪女”なんじゃないか、なんて悪い冗談言ったりしてるんですよ(笑)」

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などのコメントを掲載したもの。読む「井戸端会議」といったところか。

そりゃ、大原麗子さんが読めば不愉快だし、はっきりいってくだらない記事だ。

だかこそ、この記事を真に受ける読者はまずいないと思うのだが、大原麗子さんは「名誉を傷つけられた」として、賠償金5000万円を請求。

2001年2月26日、東京地裁は名誉毀損を認め、「女優といえども私生活の平穏は保護されるべきで、好奇心の対象にすることが許されてよいわけではない」として、光文社に500万円の支払いを命じている。(『共同通信』01年2月26日付)

今でこそ、500万円の賠償額はそれほど高いとも思えないが、それまでの名誉毀損の慰謝料の相場はせいぜい100万円。多くても200万円程度とされてきた。それがいきなり500万円に跳ね上がったのである。

当時の朝日新聞も「五百万円の認容は同種の名誉毀損訴訟では極めて高額」と報じている(『朝日新聞』2001年2月27日付)

光文社ではこの判決を不服として控訴するも、同年7月5日の控訴審判決で敗訴。それどころか、鬼頭季郎裁判長は、「過去の訴訟に拘束されることが正義公平の理念にかなうとは言えない」として、「慰謝料額は1000万円を下回るものではない」と述べている(『朝□U新聞』2001年7月6日付)。

500万円で済んだのは幸運と思え、本当は1000万以上だ、と裁判官は気色ばんでいるのである。

ただし、これは大原麗子さんではなく出版社の控訴のため、控訴した側に不利益になるような変更はできないという理由で、一審判決と同じ500万円で賠償額は確定している。

ということは、もしも大原麗子さんが、「私の名誉が500万なのっ!」と控訴していたら、光文社は2倍の1000万円という大金を払わねばならなかったかもしれないのだ。

今だからはっきりいおう。裁判官は大原麗子さんのファンだったのかもしれないが、これはやりすぎである。これが原因で、マスコミは踏み込んだ記事を書きにくくなった。

特ダネと名誉毀損は紙一重のところにある。判例ができてはじめて線引きができる。

メディアが自重することで、判例はできないから、表現の自由の範囲はいつまでたっても広がらないのだ。

鬼頭裁判長の判決は、次のような考えに基づいている。
鬼頭は、「人格権の経済的価値」という認識の浸透や、被害の広域化などが慰謝料額上昇の要因だと指摘する。悪質な記事などで著名人が名誉を傷つけられると、テレビの出演機会が減ったり、CDの売り上げが落ちたりする。イメージダウンによる経済的損害を慰謝料に反映させるという考え方だ。  さらに、鬼頭は、高額の慰謝料を支払わせることで「違法行為の自制効果」も期待する。大原さんの判決では、女性週刊誌の発行部数が約72万部で、1億円以上の売り上げがあると指摘した。これだけの利益があるのに、慰謝料額が安くては、「結局、書き得になってしまう」(鬼頭)というわけだ。(『読売新聞』2001年9月9日付)

雑誌記事などによる名誉毀損、プライバシー侵害などの慰謝料が低すぎるのではないか、という声は、実はその前からも関係者の間で出始めていた。

1999年8月、自民党の「報道と人権等のあり方に関する検討会」は、報道による人権侵害に対する賠償額を「欧米諸外国に比べて極めて少額」として検討を求めている。2001年5月の衆院法務委員会でも、「全体的に低すぎる印象で、救済手段として不十分と思う」という森山真弓法相の発言が残されている。(『朝日新聞』2001年9月8日付)

このほか、裁く側からも賠償金の見直しの必要性が指摘されるなど、1999年あたりから、損害賠償金の高額化の流れは出来つつあった。

「大原麗子ご近所トラブル」裁判は、こうした流れにうまく乗ったものといえよう。

この判決のあと、巨人・清原和博選手が『週刊ポスト』を相手取って提訴した名誉毀損訴訟では、一審で1000万円の支払いが命じられるなど、賠償額が高騰。これまでメディアに好き勝手なことを書かれた芸能人のために、大原麗子さんが底上げを狙ったわけではないだろうが、事実上、高額賠償金の前例を作った裁判であったことは確かだ。

「少し愛して、長~く愛して」の名キャッチコピーから30年。エポックメーキングな判決を残したという功績で、今後、メディアと名誉の値段を争う諸人に大原麗子さんは長~く感謝され続けることだろう。
タグ:大原麗子
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