「謎の治療師」に関わったことで、美空ひばりと高峰三枝子が結果的に命を失った。それだけでも一大事だが、事態はそこから、「謎の治療師」を紹介したとされる人まで取り沙汰され、裁判ざたになった。そして、報道は週刊誌側が勝訴した。今日はその続きである。
戦後史は政治史だけではない。芸能裁判もひとつの歴史である。一昨日、昨日と「謎の治療師」の週刊誌報道をめぐる訴訟について書いた。
そして、週刊誌(週刊文春)側が勝訴。要するに記事は事実だったということになる。
であるなら、芳村真理はなぜこれほどまでに「謎の治療師」をかばったのだろうか。
ハワード・ヤングの顧客は90年当時で約600名と言われている。その中には、ヤナセ取締役名誉会長・梁瀬次郎、鹿島建設取締役相談役・鹿島昭一などの財界人のほか、佐久間良子、夏木マリ、岩崎宏美、河合奈保子、MIEといった芸能人も名を連ねていたという。(『週刊文春』1990年8月16、23日合併号)
芳村真理も患者として治療を受けていた一人だが、彼女はそれにとどまらず、周囲の芸能人や有名人を積極的にハワード・ヤングに引き合わせていたとされる。
同誌には何人かの有名人が実名で書かれている。
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芳村真理はそれを書かれて欲しくなかったのではないだろうか。
高峰三枝子にも「私がこんなにスマートになったのは (ハワード・ヤング)先生のお陰」と、一生懸命に勧めていたという。(「週刊文春」91年5月23日号)
お腹の脂肪を気にしていた高峰三枝子にとって、ファッションリーダーとしても活躍する芳村真理の話はハワード・ヤングなる人物を信頼するのに十分な説得力を持っていたに違いない。
美空ひばりにハワード・ヤングを紹介したのは郷ひろみの母と言われているが、最初は芳村真理が美空ひばりの親友である中村メイ子を通じて紹介しょうと思っていたらしい。
中村メイ子は次のように語っている。
「東京ドーム公演より前に、芳村さんから私に電話がありました。『体のためにいい先生がいるので、ひばりさんに紹介したい』と。芳村さんは前から知っていますが、反射的に“問題がある”と思ったんです。『ちょっと勧めたい療法があるので』という言い方に、直感的に、胡散臭いと思いました」(「週刊文春」91年5月16日号)
ハワード・ヤングの正体が明らかになるにつれ、そうした人物を周囲に紹介してきた自分にも非難の矛先が向けられるのではないかとの恐れから、芳村真理は圧力をかけてこの間題を葬ろうとしたのだろう。
だが、芳村真理の名誉のために一言加えておくと、芳村真理自身もハワード・ヤングを全面的に信頼していたわけではないようだ。
「人物は保証できないけど、マッサージは上手よ」(「週刊文春」90年9月13日号)と、紹介したある有名人に話していたというのだから。
つまり、紹介はしたけれど、のめり込んだのは本人の責任もあるということだ。
本当にそう思っていたのならなおのこと、ハワード・ヤング追及の先鋒として持てる情報を積極的に公開・提供すべきではなかったか。
高峰三枝子の死後、日本を去ったハワード・ヤングは、その後も観光ビザでの出入国を繰り返し、02年11月にはクリニックを開院。03年3月17日に出入国管理及び難民認定法違反(資格外活動)で逮捕された。
2012-05-23 13:00
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懐かしいお名前も出てきますねヾ(´▽`;)ゝ
by nano (2012-05-23 17:29)