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「テレビ局に圧力」報道は「週刊文春」の勝訴に [芸能]

「謎の治療師」に関わったことで、美空ひばりと高峰三枝子という二大スターが結果的に命を失った。そのことをマスコミがかきたてたことで、「謎の治療師」を紹介したとされる人がテレビ局に圧力をかけたと報道され、それはとうとう裁判ざたになってしまった。
戦後史上、週刊誌の訴訟沙汰は数限りないが、実はその多くが政治家や実業家で、タレントは意外に少ないと言われている。タレント側が「書かれてナンボ」という認識を持っているのかもしれない。

その意味で、異例の訴訟といえるのが、昨日書いた芳村真理が「週刊文春」を訴えた事件だ。

芳村真理が訴えたのは、「芳村真理がヤングを弁護 テレビ局に圧力」と題した91年5月23日号の記事である。

それによると、ハワード・ヤング問題を最初に扱ったテレビ番組は、「内田忠男モーニングショー」(テレビ朝日)だったが、その担当ディレクター・小林雄高に、

「あなたの首を飛ばすくらい簡単なんだから!」と圧力をかけたというのだ。

ハワード・ヤングについては、「モーニングEYE」「3時にあいましょう」(TBS)、「おはよう!ナイスデイ」「タイム3」(フジテレビ)などでもいったんは取り上げたが、すぐにやめている。

テレビ朝日だけが報道を続けたところ、芳村真理は再び小林雄高に電話をかけ、

「小林さん、ちっとも得にならないってこと、わかってるの? もっとお利口になんなさいよ」とプレッシャーをかけたという。(「週刊文春」91年5月23日号)

その記事に対して1億円で提訴した。今でこそ名誉毀損裁判は賠償額が高騰したが、当時としてはもちろん、現在でもべらぼうな金額である。

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「社長と編集局長、そして編集長のぼく、三人がそれぞれ一億円なのだ。告訴状に貼る収入印紙代だけでもバカにならない金額だがそれだけ芳村さんも痛いところを突かれたということだろう」

当時の「週刊文春」編集長、花田紀凱氏は自著の中でそう振り返る。(『花田式噂の収集術』KKベストセラーズ)

この裁判は96年2月16日、原告側の請求が棄却され文春側が勝訴。芳村真理側では控訴するが、翌97年1月30日、控訴棄却により文春側の完全勝訴で決着がついている。(明日に続く)
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