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戦後史上の犯罪の「量」と「質」 [社会]

戦後史上、犯罪をどう見るか、という点でしばしば見方が分かれることがある。

ある者は、情報化社会になっていろいろな事件が報じられるようになった印象から、現代は昔に比べて凶悪事件が増えたと危機的な指摘を行う。すると、別の者は、統計を根拠に、いや、凶悪事件は減っている、という反論を行う。

さて、あなたの見解はいかがですか。

筆者が思うに、前者はたしかに「量」的には間違いであるけれども、後者のように統計だけですべてを語ろうとするのは、「質」の面からの検証がないがしろにされてしまう憾みを感じてしまう。

世の中の真実は、「量」だけでも「質」だけでも正確にとらえることはできない。

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たとえば、本当は凶悪事件であるのに、自殺とか事故死とか、「別冊行き」(警察が調べることを放棄する)で処理することで、統計上、凶悪どころか事件そのものの「量」は減らす、つまり「減った」ことにできる。

しかし、それが減ったからといってもちろん犯罪自体が減ったことにはならない。そんなものは数字のまやかしである。

逆に、凶悪でないところで食い止められる事件を、警察の不作為で「凶悪」にエスカレートさせてしまう場合もある。

要するに、犯罪の真の発生率や件数は、受け付けた事件の実数や、そのときどきの警察の力量も見なければならない。犯罪者と警察官は合わせ鏡のようなものである。

『日刊ゲンダイ』(12月21日付)では、今回の長崎や、かつての桶川のストーカー事件を放置してきた警察の怠慢を記事で取り上げている。

すぐに手を打っていれば女性たちを救えたのに、警察の初動に問題があったから結局彼女たちを死なせてしまった、という話だ。

ストーカーだけではない。失踪事件などでも、すぐに手を打たなかったばかりに被害者を救えなかった事件はたくさんある。

ノンフィクション作家の藤井誠二氏は同紙でこうコメントしている。

「長崎の事件では、警察がすぐに容疑者の身柄を押さえていれば、悲劇は起きなかったはずです。こうした現象の裏には警察の“都合”もあると思います。事件を受理して捜査となれば、それなりの人数をさかねばならない。だけど人員には限りがある。だから、なるべく受理したくないのです。その結果、凶悪犯が野放しになってしまう。警察が犯罪者の味方をしているともいえるでしょう」

元兵庫県警の刑事だった飛松五男氏は、警察が自殺、自主的な失踪と決め付けた事件に異議を唱え、現場で聞き込みを行い、コメンテーターとしてテレビ番組で、実は殺人事件だったという衝撃の真相を明らかにすることで最近話題になっている。

明日は、飛松五男氏が明らかにした事件について具体的に取り上げたい。

飛松五男の熱血事件簿―私だけが知っている不可解事件の裏側と真相

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MADONNA

もう20年も前になりますが、米国駐在の時、友人が来るまで軽い接触事故を起こして・・警察が来たのですが「軽い事故だからお互いにどうするか決めて」と言われ「自分の車は自分で修理する」で終わりました。おとがめも何も無し。日本もそんな時代が近いのかもしれません。

凶悪犯罪は確実に増えていると思います。入国する外国人も国内の日本人も 指紋やDNAの登録制が必要になる日が来るかもしれませんね・・・。

by MADONNA (2011-12-23 09:28) 

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