「フライデー襲撃事件」。といっても、若い層にはもうわからないことかもしれない。ビートたけしがたけし軍団を引き連れて、『フライデー』という写真週刊誌の編集部を襲撃した事件である。原因は、ビートたけしの愛人を表沙汰にしたからという理由だった。
戦後史(マスコミ)上、写真週刊誌というのも一時代を作ったメディアではないだろうか。
それらはカップルの熱愛を激写する。プライバシーに入り込むなんてトンでもないという意見もあるが、別に一般人のアナタを狙っているわけではない。
対象は「公人・有名人たちの秘密」だ。被写体だって、芸能人なら場合によっては宣伝になるし、政治家なら有権者の判断材料になる。芸能事務所などは、写真雑誌と話をつけて、あえて宣伝のために写真を撮らせる場合だってあるくらいだ。
いずれにしても、写真とわずかなキャプションによる記事で真実がわかるのか、という疑問もある。プライバシー云々というより、本当はそちらのほうが問題なのかもしれない。
写真週刊誌が続々登場したのが80年代。ちょうど、新聞社系週刊誌や月刊誌などが休刊した頃と一致する。この頃から「軽チャー」などと揶揄する読書嫌いの社会になった。本も売れなくなった。
さて、1986年12月9日、写真週刊誌『フライデー』の記者が、ビートたけしの女友達といわれた下校途中の女子大生から大学の門の前で強引に談話を取ろうとしたことに対して、ビートたけしとたけし軍団の11人が傘と消化器を持って講談社に押しかけた。
そして、風呂中斉編集次長ら5人に傘で殴りかかるなどの暴行を加え、通報でかけつけた大塚署員に傷害と暴力行為の現行犯で逮捕。翌年6月に傷害罪で懲役6カ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。
一度は電話で話し合いを求めたものの、ラチがあかずに犯行に及んだという。
たけし軍団の中では、ラッシャー板前、つまみ枝豆と井出らっきょの3人が殴り込みのメンバーに入っていなかった。ラッシャーは痔の手術、枝豆は右翼で襲撃の前科持ち、井出は愛人宅を訪れていたためとされる。
枝豆をはずしたところから察するに、ビートたけしは襲撃を「ガチ」ではなくシャレで行っていた可能性がある。げんに、その後の記者会見でも反響の大きさに驚いた旨のコメントをしている。
だが、襲撃や暴力が事実である以上、ただでは済まない。
その後のたけしの持ち番組では、3人が引き続き出演。さらに山田邦子も代役を務めたが、なかなかたけしの穴は埋まらなかった。山田邦子は当時坊主頭になっていたが、たけしの代役をつとめるプレッシャーも一因としてあったのかもしれないといわれた。
筆者は、直接山田邦子に当時の真相をたずねたことがあるが、
山田邦子は「デビュー前にすでに丸坊主は経験済みなんで、あれはひとつの表現ですね」と教えてくれた。
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事件について、“インモラルな写真雑誌から好きな女性を守った責任感ある男”という描き方を芸能マスコミは好んだ。
しかし、たけしは、その後の記者会見で、芸能界への影響を「自分一人で芸能界を切り盛りしているわけではない(からどうってことはない)」と気色ばむなど、自らの行為の影響力を軽視する立場をとっており、責任感や使命感で動いたわけでもなかった。
純愛の対象である彼女が可愛そうだ、という義憤が襲撃事件の動機だったとしても、行為自体は「責任感」などという評価をできるものではなく、もっと素朴というか、刹那的なものではなかったのだろうか。
「講談社で12人ぐらいぶん殴ったかなあ、皆崩れ落ちるように倒れていくんだよね。ひとりなんか俺(おれ)死んだと思ったもん、“ああ、俺やった”と思ってねえ」(「武がたけしを殺す理由―全映画インタヴュー集」ロッキング・オン)
まるでたけしが悪者をバッタバッタと倒していくような描き方だが、実際には相手に対して虚をついた上に集団で殴り込んで凶器まで持っている。
そりゃあ、自分のペースでぶん殴れるだろう。「行くんなら、弟子連れて行かずにひとりでいったらんかい!」(故横山やすしさん)という意見にこそ道理があるのではないか。
この事件で、警察官僚だった後藤田正晴元官房長官は、我が意を得たりとばかりに「ビート君の気持ちはよくわかる」との有名なコメントを発したことで、お上の言論コントロールの口実に使われるのではないかと心配もされた。
2011-12-02 05:00
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そういう美談に仕上げられていたというのは知りませんでした。
集団で行くのは、やすし師匠の言われるとおり卑怯な行為だと思います
by よいこ (2011-12-03 08:47)