美空ひばりといえば、戦後史上、というより昭和芸能史に欠くべからざる人物としてすでに触れたが、その美空ひばりの23回忌メモリアルコンサートが今日、テレビ朝日で26日土曜日、21時から23時48分の「3時間」番組で放送される。
東京ドームて行われた今月11日のコンサートだ。いずれDVD化されるのだろうが、今日、はやくも中継録画が公開されるのだ。
戦後史は、まさに美空ひばりの登場で幕を開けたといっていいかもしれない。
その美空ひばりの年忌法要にちなんだ行事だから、コンサートのプログラムも、他の歌手が美空ひばりを偲んで、美空ひばりの持ち歌を歌うことが多かったようだ。
たとえば、郷ひろみが歌った『真っ赤な太陽』は、美空ひばりがミニスカートでゴーゴーソングを歌ってファンを驚かせた。
AKB48は『お祭りマンボ』を歌った。楽曲がどうというより、AKB48が美空ひばりのメモリアルに登場したというのが印象深かった。
他に、五木ひろしが『哀愁波止場』、岡林信康が『風の流れに』、近藤真彦が『テレビファソラシド』、小林幸子が『みだれ髪』、氷川きよしが『人生一路』などを歌い、美空ひばり、江利チエミとともに3人娘といわれながら現在一人だけ残ってしまった雪村いずみが『トゥ・ヤング』を歌った。
戦後史、そして昭和の歌謡界を代表する歌姫である美空ひばりは、女性として初めての国民栄誉賞受賞者でもあり、文字通り国民的スターであった。
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ところが、暴力団との関係を取りざたされ、病気をした時に使うヘソクリ以外のお金がなかった時もあった、という(「日刊ゲンダイ」2月23日付でニューラテンクォーター元社長の山本信太郎連載「元社長が語る夜の交友録」)。
暴力団に入って実刑判決を受けた実弟のかとう哲也(本名・加藤益夫)問題の引責で、10年連続で紅組のトリを務めてきた紅白歌合戦を「卒業」。その頃に静岡で行った美空ひばりコンサートは、悪天候も重なり200人も観客が集まらなかった。
美空ひばり自身も、山口組芸能部で出発し、後に企業舎弟となった神戸芸能社で育っている。ヤクザ、とりわけ田岡一雄組長との関係を否定するのは、なかなか悩ましいものがあった。
「『世間はひばりのことを女王様のようにいい、さぞ裕福な暮らしをしているように思っていますが“お嬢”は苦労しているのよ……』
といって、喜美枝さんが僕に貯金通帳を開いて見せたのです。そこには400万円前後の残金しかありませんでした。
『子供が病気になった時に病院代にだけは困らないようにこれだけは残しているんですよ』」
今とは貨幣価値が違うが、不世出の大スターの資産としては少なすぎる。
「私、ヤクザなんか知りません。みんな昔の話」ととぼけてしまえば、大スターであるから、メディアは見逃したかもしれない。
しかし、美空ひばりは、そのような不義理をできなかったのだ。
かつて、山口組はある組と抗争。相手の若頭を襲撃した山健こと後の後の山口組若頭・山本健一が加古川刑務所に服役した時、田岡組長は山健の労苦に報いるために、美空ひばりに慰問を依頼した。
これまた田岡に可愛がられ神戸芸能社に義理があったひばりは、刑務所を慰問して山健を名指しして激励したエピソードも有名である。
美空ひばりと田岡一雄の関係は、以下の書に詳しい。そして、漫画なので読みやすい。興味ある方は御一読をお勧めする。
2011-11-26 06:00
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