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大島渚が『愛のコリーダ』で無罪になった日

戦後史上、映画の分野では有名な『愛のコリーダ』といえば、70年代に制作された国産初のハードコア・ポルノ。撮影フイルムを性の先進国フランスに送り現像、堂々とノーカット版を世界公開した。

ポルノ解禁でなかった日本では、何らかの形で取り締まらないと格好がつかない。そこで、スチール掲載の出版物を取り抑え、刑法175条違反で起訴した。

被告は監督の大島渚。

しかし、この事件は22年前のこの日、すなわち1979年10月19日、無罪判決が出た。

中森明夫は『週刊現代』(10月29日号)でこう書いている。

「80年代前半、『戦場のメリークリスマス』で世界的名声を得た大島渚は、後年、「バカヤロー!」と深夜にキレる和服のオッサンと化し、『朝まで生テレビ』文化人となった。その転換点は、裁判沙汰にもなったあの映画だ。『愛のコリーダ』の阿部定は情夫のペニスを斬り取ったが、大島渚は日本人の(性)倫理を切断した。1980年代以後、我が国の性表現を爆発的に変革したアダルトビデオ、男女の性行為をあからさまな映像で見せるAV……その原点こそ、『愛のコリーダ』ではないのか!? 2000年12月、20世紀のタブーを解くようにノーカット版『愛のコリーダ』が日本公開された時、そう確信した」

『愛のコリーダ』の作品としての評価はいろいろあるだろうが、変革の果てがアダルトビデオというのなら、それは個人的には寂しい話だ。

それはたんに、映像芸術から「まんま」に移行しただけ、つまり芸術性が抜け落ちてしまっただけの話ではないのか。それは変革ではなく変質だろう。

樹木希林がかつて、素人俳優・内田裕也が映画発出演の際に送ったアドバイスは、「どうせ俳優としては素人なんだから、演技はしなくていい。そのままでいい」ということだった。

青春ドラマスターの岡田可愛が、新劇出身の俳優がゲスト出演したとき、いろいろ啓蒙されて演技を考えていたところ、演出者から「縁起なんかしなくていい、若さだけでいい」といわれたことがあるという話も聞いたことがある。

要するに、「演技する」ことと「リアル」というのは、まったく別のことであり、芝居において「リアル」というのは「演技」よりも格下に位置することなのだ。

一見、リアルに比べて演技は「嘘」だから格下に見えるかもしれないが、「嘘」だからこそ「まんま」では表現し切れていない様々なことを描けるということがある。

そうでなければ芝居というもの自体が必要なく、世の中はドキュメンタリーとニュースだけでいいことになる。

いずれにしても、そんな大島渚が脳卒中に倒れてメディアから名前が消えて久しい。『愛のコリーダ』よりも、そちらのほうを思い出してしまった。

戦後史もいろいろある。
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