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民社党の連合政権構想(1989年)

戦後史上、この時期は日本共産党以外の野党が、おそらくは無理だと分かっていた連合政権についていろいろ提案していた時期である。

永末ビジョン 1989,10,16

民社党の永末英一委員長は、連合政権協議について「今後ともあいまいな妥協を排し、基本政策の完全な一致を求めていく」と言明。連合政権は要求の一致点で連合するだけではダメだと日本社会党にクギをさした。

要するに、日米安保条約、自衛隊について、憲法的にも法律的にも政治的にもはっきり認めよということである。
日本社会党は、違憲だが存在するといった曖昧な見解をとっていたが、それに異を唱えたわけである。

これは「永末ビジョン」と呼ばれ、左右社会党の分裂や対立に端を発するものだった。当時、日本社会党は右傾化されたといわれていたが、民社党といえば、軍事面では自由民主党よりも右であるといわれたから、日本社会党がこのビジョンを呑むことはできなかった。

その要求は後の「石田見解」につながっていった。民社党については、以下のブログが言及している。

〔原子力発電メモ〕東京電力と三菱重工の歴史的なつながり

そして言うまでもなく今の民主党には民社党の血が脈々と流れているわ けで現政権が何故原発を推進するか、よく分かってもらえるんじゃないかなと フジヤマ・ガイチ 金の流れと人脈を辿れば、そこから必ず何かが見える。

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平野貞夫氏の「憲政史に残る民主党十六名の志士」

かつて、菅首相が所属していた「社民連」という政党が、「社会党会派」と「民社党会派」に所属していたことがある。このことについて議院運営委員会で議論した前例がないだけである。 その議論を始めるためには

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菅氏と小沢氏が喧嘩したら民主党は分裂する

しかし、代表選挙への立候補を断念し、旧民社党系の支持を鳩山氏に寄せた中野寛成氏を幹事長に起用したことが、党内から「露骨な論功行賞人事だ」との批判を浴び、さらに、10月27日に行われた衆議院議員、参議院議員統一補欠選挙で惨敗するなど、鳩山氏は

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鹿野道彦農相と小沢一郎氏の「知られざる経緯」が放送される ...

握手を見守るのは米沢隆・元民社党委員長。 [画像]小沢辰男・元厚相の音頭取りで、政権交代に向けて「新進党バンザイ」をやる、小沢氏、鹿野氏ら。後ろは 高木義明・現文科相 。

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腰の重い小沢一郎支持の政治家が動き出した。

菅首相が所属していた「社民連」という政党 が、「社会党会派」と「民社党会派」に所属していたことがある。 このことについて議院運営委員会で議論した前例が 「社 会党会派」と「民社党会派」に所属していたことがある。このこ とについて議院運営委員会で

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yutakami

民社党が平成初めにまだ存在していたとは、ちょっと驚きました。
by yutakami (2011-03-01 02:19) 

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