【激動の戦後史】プロファイリング導入が検討された誘拐殺人事件 [戦後史]
プロファイリング導入が検討された誘拐殺人事件について振り返ってみましょう。日本で初めて、プロファイリング導入が検討された誘拐殺人事件をご存知ですか。1988年から翌1989年にかけ、東京都北西部・埼玉県南西部で相次いで発生した、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件です。
連続幼女誘拐殺人事件とも、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件ともいいます。
戦後史上(犯罪史上)、初めてプロファイリングの導入が検討され、ときの法務大臣が積極的に死刑を執行をしたという兇悪事件です。
1988年から翌1989年にかけて、東京都北西部・埼玉県南西部で、4歳から7歳の幼女4人が犠牲となる殺人事件が発生しました。
警察庁公式名称は、警察庁広域重要指定第117号事件といいます。
事件は殺害だけでなく、犯行声明を新聞社に送り付けたり、野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけたりするなど、異常な行動を取りました。
幼女相手の強制わいせつ罪で逮捕された宮崎勤は、犠牲者の一人である野本綾子ちゃん事件を自供。
その後、他3件の殺人事件についても自供しました。
宮崎勤は公判でも、「犯行は覚めない夢の中でやった」「ネズミ人間が現れた」「俺の車とビデオを返せ」等々、事件と向き合っているとはいえない発言に終始しました。
東京地検は10月19日までに、4件すべての事件を起訴。
連続幼女殺害事件の捜査終結を宣言しました。
事件がセンセーショナルであったことは確かですが、それに拍車をかけたのはマスコミです。
激しい報道合戦が事件当初から繰り広げられ、後に犯人の父親の自殺につながったともいわれています。
冤罪や家族への圧迫
凶悪事件というと、マスコミが騒ぐのは致し方ないことかもしれませんが、それが実は冤罪だった場合、とりかえしのつかないことになります。
たとえば、足利事件とよばれる、1990年に起こった、栃木県足利市パチンコ店の駐車場から女児が行方不明になり、翌13日朝に遺体が発見された事件がそうです。
事件翌年の1991年に、結果的に事件とは無関係だった人が被疑者として逮捕・被告人として起訴されました。
いったんは、刑事裁判で無期懲役刑が確定。
ところが、18年後の2009年に再鑑定したところ、受刑者のものと一致しないことが判明したのです。
すでに服役していましたから、明らかな冤罪被害者だったのです。
もちろん、捜査と裁判のミスではありますが、このようなときに改めて思い出されるのが「推定無罪」です。
冤罪でなかったとしても、そしてどんなに凶悪犯であったとしても、その家族が命を絶たなければならないというのは、やはりメディアスクラムというものについて考えさせられるものです。
FBI捜査官が教える「しぐさ」の心理学 (河出文庫)
昔から導入されていたんですね。
犯罪心理学も面白そうです。
by えがみ (2011-02-28 01:37)