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“田中派”という表記が消えた……

第3次中曽根内閣 1986,7.22

同日選挙で圧勝した自由民主党は、第3次中曽根内閣の組閣と新たな党人事に着手した。

その結果、中曽根康弘総理・総裁、金丸信副総理、竹下登幹事長、安倍晋太郎総務会長、伊東正義政調会長、宮沢喜一外務大臣などが決まった。

一方、それまで副総裁をつとめていた二階堂進は再任されなかった。竹下登はこの時点でもマスコミには「田中派(竹下系)」と紹介されていたが、実質、田中派のほとんどは竹下「派」に、残党は二階堂「グループ」になっていた。

田中角栄の影響力は、戦後史上、ここで消えたのである。

なお、福田派は安倍派に代替わりし、鈴木派も宮沢派に代替わりした。第3次中曽根内閣については、以下のブログが詳しい。

橋本龍太郎 | 今ホットな話題情報

副総理 国務大臣(村山内閣改造内閣 副総理)通商産業大臣(村山内閣 第 代・村山内閣改造内閣 第 代)、大蔵大臣(第1次海部内閣 第86代)、運輸大臣(第3次中曽根内閣 第60代)、厚生大臣(第1次大平内閣 第61代)。自由民主党総裁(第17代)。

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撤廃された防衛費1%枠はいまだ遵守されている

三木以降の歴代内閣も予算編成にあたってこの枠を維持したが、1987年第3次中曽根内閣が昭和62年度予算編成において防衛費1%枠を撤廃。総額明示方式へと転換した。 総額明示方式とは、長期計画による防衛費の総額を明示して軍備拡張の歯止めにするという

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水害なんか、自己責任だろ、常考

宮ちゃん(東京都):2010/10/29(金) 01:00:02.33 ID:auuHZPUf0 スーパー堤防の提唱者は天野光晴元建設大臣だそうだ 第3次中曽根内閣の時で内閣 1986年7月22日 - 1987年11月6日だな といいつつ計画は役人が作ったんだろうけど 予算は社会資本整備事業特別

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国民栄誉賞の日

5 山下泰裕 27 1984年(昭和59年)10月9日(第2次中曽根内閣) 6 衣笠祥雄 40 1987年(昭和62年)6月22日(第3次中曽根内閣) 7 加藤和枝(美空ひばり) ※ 1989年(平成元年)7月6日(宇野内閣) 8 秋元貢(千代の富士) 34 1989年(平成元年)9月29日

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《国誤らせる「歴史」談話》で考える・・・

その藤尾氏、昭和61年7月に第3次中曽根内閣の文相として入閣するが、その2カ月後の9月には罷免されている。 8月に『文藝春秋』のインタビューで南京事件や日韓合邦(併合)などについて語った。

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管談話は「歴史」談話という名の「歴史捏造亡国」談話

その藤尾氏、昭和61年7月に第3次中曽根内閣の文相として入閣するが、その2カ月後の9月には罷免されている。 8月に『文藝春秋』のインタビューで南京事件や日韓合邦(併合)などについて語った。

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