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“死んだふり解散”で生き返った自由民主党

衆参同日選挙 1986,7,6

中曽根康弘首相は、「円高不況での政治的空白」を自民党の議員から懸念されながらも、逆にその円高を根拠のひとつにして解散を行い、この日、戦後史上2度目の衆参同日選を強行した。

いわゆる「8増7減」の「公職選挙法改正(定数是正)」が成立した直後のため、周知期間(30日)に周囲は「解散はなし」と安心していたが、同日選挙が可能なギリギリの期日で解散を行った。

これは政治史上、「死んだふり解散」などとも言われている。

「8増7減」で衆議院は定数512を、参議院は126議席を争った選挙だったが、投票率は38.6%。

開票の結果は、衆議院が自由民主党300、日本社会党86、公明党57、日本共産党・革新共同27、民社党26、新自由クラブ6、社会民主連合4、無所属6。

参議院は自由民主党72、日本社会党21、公明党11、日本共産党9、民社党5、新自由クラブ1、サラリーマン新党1、二院クラブ1、無所属4となった。

参議院では、タレントの西川きよしが初当選。自由民主党比例区の22位にランクされ、当選が絶望視されていた宮田輝が最後の50人目の当選を果たした。

前回、全国区から当選した中山千夏は無所属のため、比例区から立てず東京選挙区から出馬したが次点。政界を引退した。

自由民主党は、宮沢喜一、竹下登、安倍晋太郎らを「ニューリーダー」とし、その動向を大々的に報じたマスコミの助けも得て久しぶりに304(追加公認含む)にした。

一方、日本社会党は選挙前に石橋正嗣委員長が「場合によっては自由民主党の一部(宮沢派)を首班指名する」などと与党との対決色を自ら薄め、自爆する形で大きく議席を減らす。

首都東京では議席数で公明党も下回った。選挙後、石橋正嗣委員長は辞任した。

注目された「社公民」では、合計43議席減だった。日本共産党は「唯一野党」として従来の革新的浮動票を日本社会党にかわって獲得し、埼玉で初の当選者(矢島恒夫)を出すなどして前回失った予算関連の議案提出権を取り戻した。

民社党は衆議院で日本共産党の議席を1人下回ったため、その対策に社会民主連合から阿倍章吾、楢崎弥之助の2名を会派に借り入れ野党第3党の座にしがみついた。

残る江田五月と菅直人は日本社会党・護憲共同会派に入った。

社・民2会派に2名づつ分かれたことについて、江田代表は「社民和解の実験」などと言い訳したが、同一政党に所属する議員が、国防や福祉で政策の異なる2会派に分かれて所属するという前代未聞の「国会対策」は結局同党の存在価値を落とすものとなり、以後、同党は解党まで個人人気で議席を勝ち取ってきたこの4名以外の候補者を当選させることができなかった。

なお、首相・議長を指名する臨時国会では、比例区下位にランクされた宮田輝が抗議の造反で中曽根康弘首相に投票しなかった。
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