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民社党の「終わりの始まり」 [戦後史]

民社党第29回党大会 1984,4,23

民社党の佐々木良作委員長は、運動方針案で「選挙後の状況は本格的な連合の時代が来たことを示している」として、「保守・中道連合」「社公民路線」の2つの可能性をあげ、後者は「日本社会党の脱皮が必要なので」現実の可能性として自由民主党との連立に意欲を示した。

要するに、自由民主党の補完勢力になるか、日本社会党や公明党と同床異夢を追うか、という選択から前者を採ったわけだ。

いずれにしても自ら単独、もしくは中軸とする政権構想を諦めたということである。

民社党は政党として、事実上、この時点で終わったのかもしれない。

連立だの接着剤だのという旗印は、すでにこの時期、所属国会議員がたった4人の社会民主連合が掲げており、かりにも議会に提案権をもつ「五大政党」のひとつが、「連立」の選択肢しか示せないのは、戦後史的に見れば、二大政党制への潜在的な流れを示したと見ることもできる。

当時の民社党は、春日一幸、塚本三郎、大内啓伍らの「親自民」路線と、佐々木良作、永末英一、米沢隆らの「社公民」路線の対立が激しく、「春日が議論で興奮して灰皿を投げつけた」「大内と米沢は5分と話が出来ない」といった話がマスコミにも書かれたことがあるので、このとき、佐々木良作が「自由民主党との連立」を述べたのは意外だった。

いずれにしても、この頃から公明・民社の両党は自由民主党との連合を公然と表明。閣僚ポストをいかに自党に都合よく確保できるかを基準に、支持派閥を模索するという姿勢を表してきた。

10月27日には、その端的な例として、両党の委員長が一枚かんで、自由民主党・二階堂進の擁立に動いたことが発覚した。マスコミの一部ではそれを「大臣病」と表現した。
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ZOO

しぶといかもしれませんよ。
by ZOO (2010-12-17 22:18) 

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