日韓共同声明 1983,1,11
歴代の首相は訪米を行うのが恒例だったが、中曽根康弘首相はそれに先立ち、大韓民国政府の招請により1983年1月11日、12日の両日、大韓民国を公式訪問した。
そして全斗換大統領と日韓会談。中曽根康弘首相と全斗換大統領は、「日韓両国が自由と民主主義という共通の理念を追求する隣邦として相互に緊密な協力関係を維持発展させていくことが両国民の利益になる」という意見を共にし、後の共同声明では「朝鮮半島における平和の安定の維持が日本を含む東アジアにとって緊要」と発表した。この「緊要」という文言を当時の朝鮮問題の専門家は注目した。
これは過去の歴代首相の訪米時に打ちだした「韓国条項」の集大成を、当の韓国大統領と行ったもので、物議を醸した。いわゆる米日韓軍事一体化である。
そして、中曽根康弘首相と全斗換大統領は、「両国首脳間の直接的かつ迅速な対話」のため、直接会話を常時可能にする電話その他の適切な回線をできる限り早期に開設することに合意した。
当時、アメリカ大統領との関係が「ロン」「ヤス」などといわれた「気さく」な最高首脳同士のやりとりをまずは韓国に求めたわけだ。
中曽根康弘首相は、後に大統領的首相を構想するなど、どうやら意思決定とその手続きを手っ取り早く行いたいタイプだったらしい。
また、対韓援助として40億ドルを約束。南北朝鮮の分断固定化に手をかすものという批判も受けた。
訪韓には、安倍晋太郎外務大臣、竹下登大蔵大臣、藤波孝生官房副長官、安井謙日韓議員連盟会長などの議員も随行した。
2010-12-02 16:14
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