前年に日本社会党から離脱して「旗揚げ」された社会市民連合は、直近の参議院選挙で、江田三郎の子息の江田五月が当選しただけにとどまった。
その後もこれといって好材料がなく、時期に自然消滅してしまうのではないかとさえ思われた。
しかし、そこに田英夫、楢崎弥之助、秦豊ら援軍が表れた。彼らは、前年日本社会党を離党し、後続を集めて新党結成を狙ったが思うように行かず、社市連と合流。社会民主連合として再スタートした。
同党の役割は、江田三郎が唱えていた「社公民路線」の接着剤となることで、西欧型社民主義政党としての新党結成を最終的には目標とし、「真ん中より少し左」に位置する政党とした。
が、いかんせん、小グループの限界か、政党としてのテイをなしていないと思われても仕方のないような変遷をたどった。
たとえば、保守の新自由クラブや進歩党と同一会派を作ったり、独自の会派を持たずに日本社会党と民社党の2会派に2人ずつ分かれて所属したりと、政党政治としての疑問点も少なくなかった。
そして、連合型候補といわれる社公民統一候補が当選。連合参議院という、存在意義で社民連との違いがない会派ができたり、93年の「政治改革」騒動で日本新党ができ、新党さきかげとの会派に菅直人らの合流も決まって閉党した。
「社公民路線」の接着剤ということだったが、その後、菅直人が自社さ政権で厚生大臣になったり、田英夫がその自社さ政権自体を作ったりと、そもそも議員ひとりひとりの考えは微妙に違っており、政党の離合集散のキーマンとして生き残ろうとする同床異夢議員のグループといった方がリアルな表現ではなかっただろうか。
2010-10-31 09:43
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