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田中内閣の小選挙区制法案

田中角栄内閣の小選挙区制法案 1973,5,11

自由民主党の田中角栄内閣は、衆議院の定数を511にするとともに、鳩山内閣に続いて再び小選挙区制法案を持ち出してきた。

多党化の日本では、小選挙区制は、民意を反映させるための選挙ではなく、比較多数党に安定政権を作らせるための制度という批判が現在もある。

少なくともいえることは、この制度は多様なる民意のリアルな反映というよりも、制度によって極端に分化した議会構造を作るために投票させる、という面は否定できない。

自由民主党は、この時既に過半数以下の支持しか得られない「少数与党」化の傾向にあり、一方で日本共産党の大躍進があった。

各自治体の選挙では日本社会党や日本共産党を中軸とした革新統一戦線で自民党は敗れ、それがいよいよ国政レベルまでに及ばんとしているところだった。そんな中で、明らかな党利党略としてこの法案は提出された。

72年12月20日に、第7次選挙制度審議会が「選挙制度の改正」について報告。この年に入って2月8日には自民党選挙調査会で「田中角栄首相から、小選挙区制の実現をはかるよう指示された」という報告もあり、同制度が政局の焦点になってきた。

この法案については、財界が激励した。財界のトップクラスで作られている「維持会」では、「小選挙区制の断行なくして、田中内閣の意味はない」とまで言った。

これに対して野党はもちろん反対した。3月24日には社共公3党や平和委員会等17団体が国民へのアピール発表。4月24日には社共公民の4党が院内共闘を決め、5月15日には社共公の3党に総評が、小選挙区制粉砕の全国統一行動を行った。そして5月17日には、日本社会党、日本共産党、公明党、二院クラブ、総評、民青、社青同、日本ジャーナリスト会議、日本科学者会議、日本民主法律家協会、その他市民団体・労働組合等233の団体が結集し、小選挙区制粉砕中央連絡会議が結成につながった。

また、マスコミの反対の論陣も鋭かった。「小選挙区制は多数代表制といわれ、多数党が議員を独占して少数政党は議員を出せない制度」(「朝日」5月10日付)「首相は再思三考すべき」(「読売」5月13日付)、また自民党に対して好意的といわれる「産経」でも「極端な党利党略を盛り込んだ改正案」(5月16日付)等、制度の本質を見抜き、その実態を国民に伝えていた。これは、93年の「小選挙区比例代表並立制」が取りざたされたときと全く異なる態度であった。

こうした中で、国民も制度の内容を知り、4月22日の名古屋市長選で自由民主党系の現職落選、5月1日の「朝日」の世論調査では田中角栄内閣の支持率が62%から27%まで急落等、小選挙区制反対の審判をくだした。それを受けて政府は5月16日、衆参両院議長が政府に選挙制度改正法案の提出をやめることを要請。政府はこの要請を呑み、国会提出を断念せざるを得なかった。

こうして、自由民主党が国民の信頼を失う中で、日本共産党が国民に理解されはじめる。

6月17日の参議院大阪地方区補欠選挙では、沓脱タケ子が自社の候補を破って当選。7月の都議会議員選挙でも24議席をとり、20議席の社会党を抜いて野党第2党に躍進し。マスコミにもますます「自共対決」という見出しの踊る機会が増えてきた。
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lamer

ご訪問いただき有難うございます。
by lamer (2010-10-18 09:48) 

M・I

こんにちは^^ご訪問&ナイスありがとうございます!
by M・I (2010-10-18 17:22) 

jun-ar

niceありがとうございます
by jun-ar (2010-10-19 06:53) 

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